思いつきの記事一覧(全 905件)

埋め草

Photo: “Home made Bamboo Shoot Rice.” 2022. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.
Photo: “Home made Bamboo Shoot Rice.” 2022. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

埋め草としての音楽、埋め草としての物語。

そういうものには、価値が有るのだと、最近思う。ずっと気を張って生きるのは無理だし、常に教訓を得続けるのは辛い。というか、もういいや、お腹いっぱいだわという気分になる。教訓も、歴史も、先人の教えも、もう充分だ。意味の無いtweetと、教訓の無い物語を、横目で読んでいたい。

音楽も、レコメンドエンジン任せだ。それで良いと思っている。部屋では、気にならない音楽を、YAMAHAのネットワークレシーバーが流している。プロのミュージシャンは、ホテルのフロアでBGMとして奏でられるピアノにも、つい耳が行くと言っていたな。

胃にもたれない、軽いものだけを聞いて、軽いものだけを読んでいきたい。そういう気分なのだ。

ケーススタディー

講演の内容として「ケーススタディーを話してください」と、よく言われる。セミナーでは、ケーススタディーの受けが良いのだ。でも、そういうものにどれ程の意味が有るだろうか。世界は、ケーススタディーに現れるようなもので、支えられているのだろうか。僕は、世界を支えているのはケーススタディーに出るような最先端、ではないと思っている。

借りパクされるパルスオキシメータとか、何年もデザインの変わらない鉗子とか、多くの人が諳でオプションを使えるlsコマンドとか、そういうものが実際には世界を支ていると思う。普通の日常を支える、当たり前すぎて存在さえ認知されないモノ達が、世界を支えている。


それらは歴史には、ほとんど残らないだろう。僕も含めて、そういう歴史に残らないものが、歴史を作っている。

ユニバーサルデザインを無視する世界を良くしたい雑誌Wired

今のWiredは一言で言えば、上流階級の憂鬱みたいなものを書いている雑誌なのだろう。衣食足りて礼節を知る。これは、明日の食事に困っている人が買う雑誌ではない。テックの業界で職に困った人が、買う雑誌でも多分無い。では、いったい誰がこれを買っているのだろうか?ふと、不思議になる。出稿されている広告を見ると、更によく分からなくなる。

でも、我慢して読んだ方が良いとも思っている。放っておくと自分が買わないのは目に見えているので、定期購読にした。今や、Web草創期の皆に平等に知識を、みたいな時代は残念ながらとっくに終わってしまって、啓蒙して世界を前に進めようというよりも、分かっている人達だけで先に行こう、みたいな事になってしまっている。だから、食べにくても、ある程度食べておかないと置いていかれてしまう。

テックが、そういう知識の分断を先鋭化している。そんな分断は、昔からあったのだろうか?Internetがその始まりだったのだろうか。幾多のSFが描いてきたディストピアが、やはり、実現してしまうのだろうか?