プチ成金

多残業によって、プチ成金となった友達の操るポルシェで家まで送ってもらった。頑張れば、人間20代にしてポルシェが買えるのである。

この友人の明快な金の使い方には好感が持てる。多残業による所得のようなあぶく銭は、あぶくなモノを買うことに使う。シンプルでいい考えかただ。

ポルシェに限らず、彼の発想と行動は、とてもシンプルで、それがこの複雑な日常のなかにあっては楽しく感じられる。イカ(烏賊)が安かったといっては箱ごと買って塩辛を作り、でかいテレビが見たいと思えば一戸建てでもないのにプロジェクターを買って天井に映し、残業であぶく銭が出来たといえば、ポルシェを買う。ロジックは主語と述語で完結している。こういう友達が、あなたの近くにいたら、素晴らしいと思いませんか?

しかし、ふと思うのは、僕は友達だからそれでいいとして、彼の嫁さんになるような人はどう思うんだろうか。会社帰りにイカを1箱買ってくる旦那、、。あ、塩辛好きならいいのか。

作者が弱っている

季節や自然や動物の話題が、「今日の一言」に出始めると、それは作者が弱っている証拠だ。そういう、意見があるらしい。ホントかどうか知らないが、とにかく今日は動物の話だ。

一つの事実として、僕は動物に強い。別に誇ることではないが。

それは、動物が大好き、ということではない。特に好きではない。僕の家の近所には、ペットとして「カモ」を飼っているとんでもない家があって、そこのカモの妙な鳴き声には日ごろから辟易している。あるいは、道をウロウロしている身元不明の犬猫と、ベタベタ唾液混じりのスキンシップを図るような趣味も、僕には無い。特に、動物が好きなわけではないのだ。

しかし、たいていの動物は、僕がそいつを好きであるか否かに関わらず、友好的、もしくは服従的、もしくは愛好的である。僕は、誰もお手をさせられない犬にお手をさせたりできるし、普通は難しい初対面の猫を手なずけることもできる。動物が特に好きなわけじゃないのだが。

ある時、神社の境内で、池の辺に座り、ぼんやりと水面を見ていた。秋の気配が満ち、寒々しい景色。その日、弱りに弱りきっていた僕は、何をするでもなく、枯れた蓮の茂みを眺めていた。すると、そこらへんをウロウロしていた鳩どもが、僕の足のつま先に乗っかり始めた。 1羽、2羽。そして、僕にはおかまいなしに、つま先の上で喧嘩(もしくは、じゃれあい、区別不能)を始めた。

僕は枯れ木か何かか?

犬猫に強い、というのであれば、ある種の接し方やテクニックの要素があるかとは思うが、野生の鳥類となると、先天的資質なくしては、なかなか難しいところだ。

動物は我々の心を見透かす、と思う。彼らの頭が良いのかどうかは知らないが、少なくとも「気配」のようなものには、とても敏感だ。表面上、いくら可愛がる素振りを見せても、その奥に「よこしま」な気配があれば、たちどころに見破る。特に、「俺は人間様だぞ」という気配を、彼らは嫌う。まして、「動物と仲のいい俺」みたいなもの無理強いするのは、更に良くない。

僕は、動物は別に好きでもなんでもないので、単に「ああ、いるなー」と思って彼らに接する。逆に、そういう距離の置き方が、彼らに対しては重要なようだ。

なんだ、人間同士と同じじゃない。

オンスケジュール

この調子だと、絶対倒れる。

といっても、別に脳卒中とかそういうのではなくて、疲労と風邪での話しだ。先週ぐらいから、朝11時から、夜11 時過ぎまで、とても勤勉に労働をしていた。おかげで、プロジェクトの自分の担当部分に関しては、とりあえずオンスケジュールでできあがった。が、それでも う限界。体温はどんどん上がり、昨日の午後2時過ぎにはついに思考能力が消失したので、即、帰ることにした。

「いってらっしゃい」

エレベーターですれ違った、同僚の女性は、僕が客先に行くものだと勘違いしていた。なんせ、まだ2時半だし。

今日は、本来であれば、幕張まで行かなければならないので、午前6時に起きる。しかし、動けず。8時まで寝てみたが、やはり無理。しかし、一応起きて朝食を食べ、外に出てはみるものの、世界が回っていたので、ここに至って「行けない」と判断した。

しかし、ふと考えてみると、そこまでして仕事に行こうとしている自分に苦笑する。休んだからといって、別に誰かに 怒られるわけではない。冒頭のプロジェクトだって、マネジメントは僕がやっているのだから、僕が予定を書き換えれば済む話しなのだ。それでも、自分の責任 を考えてしまうと、どうにも弱い。なんか、典型的に過労死しそうな思考パターンだ。< 自分はそういう愚かなことはしたくないし、まさかしないだろう、、。とばかりも、言えない気がしてきた。よくない。 また熱出てきた、、。