パン屋の話

パン屋の話の続き。

で、パン屋としてはどんなパンを作りたいのかというと、これはもう絶対に「生ハムサンドイッチ」だ。


ある日、ローマの駅で、朝飯を買うために売店に寄った。

ワラワラと、人が集まっているあたりに行ってみる。パン屋というか、弁当屋というか。混沌とパンが積み上げられ、肉がぶら下がっている売店。その Kiosk みたいな狭い店で、おやじが 2名、キビキビとサンドイッチをつくっている。イタリア語なんて読めやしないので、なにやら一番安いやつを頼んだ。

確か、300円ぐらいのものだっただろう。分厚いコッペパンのような大ぶりのパンに、厚切りで匂いの強いプロシュートを挟んだだけのサンドイッチ。 それを紙袋に入れて、渡してくれた。味付けは無し。これが、めちゃくちゃ美味かった。肉とパン。それを、電車に揺られながら囓った。(ちょっと、のどが渇 いたけど)


食肉の輸入自由化に伴って、日本でもいろんな生ハムを食べられるようになった。だから、生ハムのサンドイッチというものも、たまに見かける。レタス とか、オリーブとか、具がいっぱい入ったヤツ。しかし、ただ単にパンに生ハムを挟んだだけの、シンプルなものは見たことがない。あの時食べた、お弁当的 「生ハムサンドイッチ」には、まだ巡り会っていないのだ。

だから、うちで売る。(いや、別に開店することが決まっているわけでも、なんでもありませんが)

まあ、あんまし人気になりそうなメニューじゃないんだけど。

注1:生ハムサンドイッチは、言うまでもなく、自分でつくろうと思えば作れます。なるべく厚切りで、塩分控えめのプロシュートを入手すると良いと思います。

夕方開店のパン屋

パン屋になろうと思っている。

パン屋は朝が早い。早起きの苦手な僕にとって、それがほぼ唯一の障害である。気温が低い朝のほうが、確かにパンをつくるのには向いていそう。だからといって、他の時間帯では絶対にできない、というわけでもあるまい。


考えてみれば、帰宅間際の OL を狙って、夕方に焼き上がるパン屋というのは、案外儲かりそうだ。そういうビジネスモデルのパン屋というのは、あまり見たことがないが。

午後 8時から焼き上がる、夜のパン屋。

どうかなぁ?

注:正確に言えば、パン屋という選択の可能性と実現性について、ときたま考えているということだ。

十七歳の地図

「オザキが来てるっ!」

病棟がにわかに騒がしくなった。入院しているプロデューサーのお見舞いに、オザキユタカがやってきた。その時、僕はまだ中学生だった。

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有名人らしかったから、サインをもらいに行った。病室に色紙などあるわけはなく、僕がさしだしたのは、コクヨの罫線付きレポート用紙。その薄っぺら い紙に、彼は快くサインしてくれた。「名前は?」彼は、僕の名前と日付を書き込んだ。入院している子供を励ますミュージシャン、というと聞こえはいいけれ ど、僕はオザキユタカが何者か知らなかった。そして、彼の音楽を聴く事もなかった。

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大学のサークルで、カラオケの時にオザキユカタを歌った友達がいた。テレビ画面に滲んだ「作詞・作曲 尾崎豊」の文字が、病院での記憶と結びついた。ああ、これがあの人の歌か。

それから何年も、僕は尾崎豊の曲を聴いてきた。傾倒、というのとは違う。僕は、彼のように生きたいとは思わなかったし、カッコイイとも思わなかっ た。しかし、自分が一番見捨てられていると思ったとき、自分で自分自身にさえ愛想が尽きかけたときに、心に届いたのは、彼の歌だった。他の誰でもなく、彼 の歌だけが、届いた。芸術には、もしかしたら人を助ける力があるのかもしれない。そんな風に思った。

2001.5.27

「17歳の地図」は、尾崎豊のファーストアルバムである。収録されているもののほとんどが、尾崎豊の代表曲になった。後年、本人をして、「デビュー作を超えられない」と悩ませたアルバム。

あれから、10数年。尾崎豊の歌は、今も流れ続ける。世間の評価はいろいろあるし、彼の歌に決して共感することのない人も、沢山いる。それでも、彼の歌は消えていないし、今日でもなお街角に流れ、そして誰かの心に届いている。