人にはいろんな夢がある

人にはいろんな夢がある。落語家になりたい、と言っていた彼は高座に上がれたろうか。林業をやりたいと言っていた彼は、どこかで木を切り倒しているのだろうか。そういえば、「背広を着たサラリーマンは嫌だ、ジーンズを履いて仕事が出来るようなところに勤めたい」と言っていた先輩は、結局、ジーンズメイトに就職した。


僕の夢の一つは、システムエンジニアになることだった。あまりにも、そのまま実現してしまったので、拍子抜けしている。

注. ちなみに、(株)ジーンズメイトのホームページを見たら、社長は背広を着ていた。そりゃないよ。

個人Web サイトの傾向

ところで、個人 Web サイトの傾向というのは、おおきく 2種類あるように思う。ひたすら文章などのコンテンツ充実を図ることを良しとする自己完結系。他のサイトと交流してみたり、目を惹くネタで人を呼んでみたりするのを楽しむ自己顕示系。

もちろん、どっちかというのではなくて、この 2つの傾向のバランスで成り立っているわけだ。羊ページは、多分、自己完結系の方に近いが、掲示板をつけてみたりメールフォームに凝ってみたりと、近年、 自己顕示系に歩み寄りつつある。これが極端になると、私はネットアイドルとか、他のサイトの書いてることに文句つけてみるとか、そういう風になるのだろ う。それも、悪いことではあるまいが。


何事も道は極めろ、とか、1位か 2位になれない事業は撤退だとか、まあ、そういう先達の意見に従うまでもなく、どっちつかずのサイトというのは、存続が苦しい。ネットアイドルとか、 Web日記で論争とか、やりきれないほどウンザリなサイトには、確かにアクセスがあるわけだ。

ところが、極めた先にも悲劇はある。孤高の自己完結系に限って寂しがり屋で寂しすぎて自滅閉鎖とか、お友達いっぱいの自己顕示系なのにネットでの人間関係がこじれて逆ギレ放置閉鎖とか、もう大変。

やっぱり、羊ページはほどほどでいくことにしたい。

注1.「ところで」という書き出しは、我ながらむちゃくちゃだと思う。
注2.じこ‐けんじ[自己顕示]自分の存在をことさらに目立たせること。「―欲」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
注3.閉鎖の原因のトップは、もちろん「思ったより、めんどくさい」なのでしょうけど。

羊ページの誕生日

もうすぐこのページの誕生日。

Web という、よく分からないものを使って、こんな長き渡り文章を書くことになるとは思わなかった。


6年前の冬、よく分からないままにこのページを書き始め、よく分からないままに続けてきた。個人がつくる Web ページは、その間にすっかり定着し、一つの文化になった。それが言い過ぎならば、より当たり前のものになった。昔は、Web に文章を書くには、まず、自分なりにその意味を考えなければならなかった。今は多分、書きたいから、という思いつきだけで十分だ。

しかし、個人が Web 上で文章を書き続ける難しさというのは、今も昔もそうは変わっていない。表現の制限ナシ、締め切りナシ、何もナシ。Web サイトというのは、今までの絵とか小説とか、そういう芸術とはちょっと違う。何万もの人間を相手にした、終わりの見えない大道芸。最近、そんな風に思う。

実際、プロでは無い人間が、これほど多量の文章を、不特定多数の人間に公開するようになったのは、おおげさに言えば、歴史上初めてのこと。本やCD や、テレビやビデオや、そういった複製芸術の進歩は、人間の生活をすっかり変えた。しかし、それすら覆す、「全ての人が全ての人に発信可能」というめちゃ くちゃな世界が、気が付けば目の前にある。


誰でもはじめられる、でも、多くの人がやめてしまう。

個人の Web サイトというのは、そういうものだ。Web に書き続けるというのは、あまり簡単なことではないし、誰もが Web で表現すべき事を持っているわけでもない。しかし、それを続ける人もいる。僕は、過去に何回かこのページをやめてしまおうと思った。しかし、やめられな かった。

表現する場所、というものが必要だから、多分、きっと、やめない。

なぜ表現し続けたいのかは、正直、分からない。ただ、続けることしかできない。表現を続ける意味、それはもしかしたら、人生の意味について語られる様々のことと似ているかもしれない。今、僕が考えつくのは、せいぜいそんなところだ。

注: だいどう‐げい[大道芸]大道で演ずる卑俗な芸。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]