貧富の差

Photo: Photo: 2002. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Kodak Tri-X pan, F.S.,

Photo: Photo: 2002. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Kodak Tri-X pan, F.S.,

少し前。

中国での亡命騒ぎがあって、それについての同情的な意見が多かったけれど、僕は別の感想を持ってそのニュースを見ていた。今回の亡命希望者は 5人。だから、どうにかなった。これが 50人だったら?500人だったら?5千人、5万人、50万人だったら?


21世紀、貧富の差の拡大が、人類にとって最も困難な課題と言われている。世界的規模で、個人の所得格差、国家間の経済格差は拡大する一方だ。

今や、国と国、個人と個人を隔てているのは、思想や政治体制、言語・文化ではない。経済の格差が、壁をつくり、憎悪や闘争を生み出す。貧しい国との国境には厳重な国境線がひかれ、低所得層の集まる街頭には監視カメラが設置される。


みんな「持たざるもの」ではなくて「持つもの」になりたい。

そもそも、富が全ての人にいきわたる事はない。格差こそが、経済を生み、富を生むからだ。だとすれば、貧富の差は、経済が高度に発達した結果もたらされた、ある種の現実解なのかもしれない。

ここまで書いてみたところで、何か結論があるわけではない。ただ、重いため息がでるだけの話。

さて、明日も仕事にいくか。


注:所得層によるターゲッティングでカメラを設置しているのは、イギリス等。

9.11後の世界、ここは

Photo: Mar., 2001. Yoyogi, Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak Ektachrome DYNA 400, Dimage Scan Elite(Digital ICE)

Photo: Mar., 2001. Yoyogi, Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak Ektachrome DYNA 400, Dimage Scan Elite(Digital ICE)

9月 11日のテロから半年、ケーブルテレビのニュースチャンネルは、追悼式の模様をこぞって中継していた。テレビの中で、光のモニュメントが空に向かって伸 び、花束と、そして無数の星条旗が掲げられていた。亡くなった人たちへの哀悼と、アメリカは負けない、というメッセージが繰り返されていた。

僕は、その放送に強い違和感を覚えた。死者を悼む気持ちと、愛国心とがすりかえられている。個人的な感情が、故意に拡大され、誇張され、欺瞞に満ちたコンセンサスをつくっている。僕は、とてもいやなものを見た気分になった。


この時点で、アフガニスタンに対する空襲で亡くなった人の数は、アメリカの同時多発テロで亡くなった人の数を、とっくに超えていた。そして彼らは、 まだ殺し続けている。人を殺すことが、何かの問題解決になると考えているならば、そのメンタリティーは、テロリストのそれと変わらない。第一、今はテロリ ストと呼ばれているアフガニスタンのゲリラ達に、武器を買い与えたのは、当のアメリカではなかったのか。

2002年、輝かしい 21世紀への入り口は、未だどんよりと閉ざされたままだ。世紀末に世界が滅ぶことはなかったけれど、新しい世紀は、目もくらむ未来の世界ではなかった。すべては、延長であり、繰り返しであり、もしかしたら衰退なのかもしれなかった。


テレビから目を移すと、東京の空に雲が流れている。世界は、あまり変わりばえしないように見えた。ここは、ゆっくりと死んでいく場所なのか、あるいは、希望があるのだろうか?

Photo: Mar., 2001. Yoyogi, Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak Ektachrome DYNA 400, Dimage Scan Elite(Digital ICE)

すり減るのが恐い

Photo: 2001. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Knodak Ektachrome DYNA 200, Dimage Scan Elite(Digital ICE)

Photo: 2001. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/35, Knodak Ektachrome DYNA 200, Dimage Scan Elite(Digital ICE)

「感性がすり減るのが恐い。自分が、何も感じなくなっていくことが恐い、、。」

その日、僕はいくらか酔っていて、安居酒屋のラミネートされたメニューを眺めながら、そんなことを言っていた。


このページに、何度も書いていることだけれど、人は慣れる。どんな辛いことも、どんな楽しいことも、どんな新しいことも、やがて慣れる。仕事も、生活も、だんだん慣れてくる。いろんな事は殻に覆われて、辛くもなく、楽しくもなく、なんでもなくなってしまう。

あるいは、人には、何かが出来る季節、みたいなものがある。少し前まで、そういう季節が失われるなんてことは、想像することもできなかった。でも今は、自分にひらめきみたいなものが失われ、日常に埋没して、なんとなく生きていってしまうのが、恐い。

信号機が、パッと赤に変わるように。あるいは蛇口から最後の一滴が落ちてしまうように。ある日、全ては、手の届かない記憶になってしまうんじゃないか。


いろんな痛い思いをするのは嫌だけど、何も感じないのは、もっと嫌だ。僕には変わりたい部分もたくさんあるけれど、変わりたくない部分もある。時間が、無情にそれを奪ってしまうことが恐い。

昔は、大人になるまでの年月を数えていたけれど、今は、残された人生の年月を数えている。そんな転換があって、こんなことを考えるのかもしれない。


いずれにしても、その居酒屋で蛸山葵をつつきながら口をついて出た不安は、未だに僕をとらえている。あるいは、その不安すら、失う日が来るのかもしれないのだが。

注:ラミネート【laminate】合板にすること。また、プラスチック‐フィルム・アルミ箔・紙などを重ねて貼り合せること。「―‐チューブ」[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]