酒を止めてよかった7つのこと

Photo: "Karakara at flagship store of Urizun."

Photo: “Karakara at flagship store of Urizun.” 2019. Okinawa, Japan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM, PROVIA filter

手術から1年、術前は当然酒を飲まなかった。そして、そのまま飲まずに今に至る。習慣が断ち切られ、そのまま続いているのだ。そして感じた、飲まないメリット、について書いてみる。

さて、まず友人であるところの、二人のソムリエには、酒を止めたりしたら即生活の脅威になるのでお勧めしない。他の、あらゆる人にも、酒を止めることは、僕からは特にお勧めはしない。それは所詮、自分で決める事だからだ。

ではメリット。

  1. 体調が劇的に良くなる
    大リーグ養成ギブスとか、修行用の亀の甲羅とか、そういうものを外したような、体調の良さは否めない。人間ドックの数値に表れる以上に、どう控えめに言っても、改善する。
     
  2. お金が減らない
    社会的な付き合いや、友達と飲みに行く、と言うことは普通にしている。ただ、二次会、三次会と店を重ねて翌日記憶ハッキリせず、財布にはカードのレシートが何枚も入っているという事は無い。以前なら、ちょっとここは高めだな、と思った店でも、酒を飲まないと全然金額がいかないことを、改めて知る。(その分、頼むようにはするが)
    行きたくも無い義務的飲み会の後、一人で気分直しにバーに行ったり、翌朝冷蔵庫にあまり見覚えの無いセブンの二郎風ラーメンが入っていたりもしない。素晴らしい。
     
  3. 下らない飲み会に参加するのが楽になる
    不味い酒、不味い料理、つまらない面子。しかし社会人たるもの、そういう飲み会にも参加せざるを得ない時がある。酔って参加した方がいいように思うのだが、意外にも、酒を飲まない方がそういうものに参加するのは楽。そういう場で、愚かな事を口走る危険性も無い。
     
  4. 二日酔いが無い
    酒を飲まないと、二日酔いが無い。皆さん、あまりご存じないことかとは思うが、酒を飲まない限りは二日酔いはしないのだ。土曜日が台無しになる罪悪感も、昼過ぎまで続くだるさも、午後になってようやく回復すると、その不快さを拭うように飲みに行きたくなる感じも、まったく無い。
     
  5. 時間が増える
    例えば、プログラムを書くとか、Premiere Proの動画編集を勉強するとか、やろうと思っていることをやる時間が出来る。これは、とても大きい。飲んでいる時間よりも、アルコールの支配下にある時間の方がだいたいは長いが、それが無くなる。羊ページの更新が増えている事は明らか。酔っていなければ、食事から帰ってきてから、文章を書くこともできてしまう。
     
  6. トイレの品質が劇的に改善する
    肝臓とかじゃないんだから、消化器官に酒はたいして関係無いだろうみたいな事を言う人が居るけれど、止めてみて分かるが、消化器官にかかる負担は半端ない模様。
     
  7. コントロールできる事が増える
    先に挙げた、時間が増えるというのが典型的な話。起きている時間の100%が、自分の意志が働いている時間になる。これは、シンプルな事だがとても重要だ。人生がコントロールできるほど、人は幸福感が大きくなる、と言うけれど、それは確かに実感される。
     

なお、デメリットは、バーのマスターが寂しげにしてる事か。誰かと行くのであれば、バーも付き合いではいくが、流石に1人では行かなくなった。馴染みの立ち飲み屋では、黙っていてもアルコールフリーのビールが出るようになった。この記事はもともと、コロナウイルス騒動の随分前にメモとして書いたが、その時から考えても、引き続きメリットは大きいと感じている。在宅勤務で酒量と体重が増える、という話を一人ならずから聞いた。

多分、ライフステージというのはあるので、20代とかで有れば、酒は飲んだ方がいろいろ広がるかもしれない。ある程度、いろんな種類の酒を飲んだり、色んな場所に行くことには、それなりの意味があるとも思う。ただ、今の自分にはもう良いかなと思うのだ。

今はもうない、Bistroの写真

Photo: "Bistro M."

Photo: “Bistro M.” 2006. Tokyo, Japan, CONTAX T3 Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak 400TX.

外食をすっかりしなくなった。COVIDによる売り上げの減少よりも、行動変容が怖い。そんな外食産業の人のコメントは、確かにその通りになっているのかも知れない。


今はもうない、Bistroの写真を見る。

今とは違う別の街で働いていたときには、昼前にみんななんとなく出勤して、それも会社にでは無くて、馴染みの店のどれかにまず向かう事が多かった。そこで待ち合わせて、しっかり食べて、しっかりお喋りをして、デザートの選択肢があればそれもちゃんと頼んで、そこから会社に行った。


なんか働いてないみたいな感じに見えるけれど、生産性が高かったかどうかは知らないが、凄くちゃんと働いていた。そこで話したことの大半は、忘れてしまったけれど、とても大事な時間だったと思う。店では仕事の話は、あまりしなかった気がする。

そうして、夜遅くに仕事が終わって、また昼の店に皆で行って、その頃には他の客はだいたい引けてしまっていた。気取った、常連だけの裏メニューっていう訳じゃ無く、単に毎日行きすぎて頼むものが無くなって、なんとなく違うモノをつくってれるような、そういう感じで、山盛りのパスタとか、そういうものを平らげた。


自分の人生にそういう事が何回あるのか、その時はあまり自覚をしていなかったけれど、そういう幸運というのは、その場に居るときにはあまり自覚をされないみたいだ。

すっかり変わってしまった世界と、自分のライフステージと、今の皆の働き方。この時代の、あの空気に戻る事はできないのだけれど、人が昔を懐かしむ気分が、どうやら僕にも分るようになってしまった。そういう、事みたいだ。

今、改めて結像するもの

Photo: "Japanese pampas grass."

Photo: “Japanese pampas grass at Shinjyuku-gyoen.” 2001. Tokyo, Japan, CONTAX RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EL-2

人間ドックの帰りに、道玄坂で久しぶりに写真展を見る。ソール・ライター展。何か知っていて選んだわけではなくて、たまたまやっていた。

ソール・ライターはNYで活動した写真家。今では想像がつかないが、当初カラープリントは退色してしまうため、カラー写真は芸術として認められなかったという。カラープリント自体もとても高価で、早くからカラーフィルムを使って撮影をしていたライターは、ポジのスライド上映の形で仲間内だけで楽しんだという。

写真展には、1990年代になって再発見された写真が、沢山展示されていた。現代の技術で、カラープリントされ、息を吹き返した半世紀以上前、1950年代の風景。

目にとまった、雪道の紅い傘の写真は、いかにも日本人が好みそうなモチーフで、やはり売店で絵はがきとして売られていた。いつものように、絵はがきだけを何枚か、自分への記念として買った。自分への土産は、絵はがきだけと決めている。


coursera.orgはオンライン講義のサイトだが、修了証をもらおうと思わなければ(そして、学生相互の課題評価システムを使わなければ)、無償の授業がいろいろ有る。

ミシガン州立大学が提供している写真講座、“Photography Techniques: Light, Content, and Sharing”は正規の芸術系の授業など受けたことがないだけに、面白かった。何人かのプロの写真家でもある講師が、だいぶ丁寧に写真とそのデジタルワークフローの基礎を教えてくれる。

講師の一人が、面白い事を言っていた。昔の自分のネガをスキャンしてSNSに上げてみたら、最近の作品よりも遙かに沢山の反応があったという。自分の昔の写真を、再度上げていってみようかと思う。それは、郷愁では無い。新たな発見、今の時間の話なのだ。