フォトエッセイの記事一覧(全 320件)

同じ自分ではない、同じ自分でもある。

Photo: 2000. Kobe, Japan, Nikon F100, 35-105mm/F3.5-4.5D
Photo: 2000. Kobe, Japan, Nikon F100, 35-105mm/F3.5-4.5D

そういう小学生も滅多にいないと思うのだが、僕が卒業アルバムに書いた、将来なりたいものは SE だった。

大学は理系に行かなかった。政治や歴史を勉強した。それでも、インターネットブームにのって、僕は SE になった。こう書くと、なんとなく軽いけれど、まあ軽いのだ。

卒業アルバムに書いたとおりの職業につくことができる人間の割合、というのを考えれば、僕は幸せなのかも知れない。


結局、人は、自分自身を受け入れるために、長い旅をしているのかも知れない。これでいいんだ、と思うために、いろんな曲がり道を歩いているのかも知れない。そんな風に考えることが、多くなってきた。

自分の夢を実現することができれば、安心できると思った。そうでもない。

幸せってなんだ。よく分からない。でも、つくるものとか、獲得するものとか、そういうのではない。それはきっと、受け取るもの。


ここまでの文章は 3年前に書いて、そのままになっていた。いろいろ歩いて、一周して、またここに戻ってきた。

同じ自分ではない、同じ自分でもある。

ニンニクラーメン

Photo: "ニンニクラーメン"
Photo: “ニンニクラーメン” 2004. Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8

ラーメン番組を見るのは好きだが、ラーメンを食べるのはそれほど好きじゃない。ラーメンのスープは飲み干さない、と言えば伝わるだろうか。だから、ラーメンが食べたい、と思うことはほとんど無いのだが、それでも年に数回「ラーメンが食べたいような」気がする時がある。

そんな時は街の中華料理屋に行く。いわゆる、昔ながらのラーメン屋、雑多なメニューが 30種類ぐらい貼りだしてあるような店。お客は、居酒屋代わりに餃子や焼売を食べながら飲んでいる会社員の一団。外出の帰りに寄った親戚同士。閉店間際 に、独り晩飯を食いに来る男。(僕だ)


僕の行く店は、高級中華というわけでは決して無いが、例えばフランチャイズチェーンの中華料理屋なんかに比べると値段はあんまり安くない。街のラーメン屋、という単語から想像される価格よりも 200円高いとか、そんなイメージ。その代わり、材料がちょっと良かったり、量がちょっと多かったりする。

普通のラーメンもあるのだが、あえてニンニクラーメンとかを頼むこともある。めったに食べないし、せっかくだから。出来合のおろしニンニクじゃなく て、ちゃんとみじん切りにしたニンニクがどっと入っていて良心的。スープの味は、ザ・ラーメン屋みたいな加減で、ちょっと浮いてる小口切りのネギが良く合う、そんな味。拘り素材とか、焦がしネギがどうこうとか、そんなアホな話は全然なくて、おばちゃんが「はいよ!、おまたせしました!」と元気よく置いていくニンニクラーメン。食べると少し元気になる。


永くやっている店だから、信用具合みたいなものは、チェーンとは違うし、オヤジの真っ黒中華鍋の出す味は、ホッとする感じ。お客も危ない人が居ないから(深夜の牛丼屋とか、ホント怖い人が居るでしょ)、安心。こういう地縁的な店をぶっつぶして、高効率・マニュアル調理・均質サービス、みたいなバカビジネスモデルの果てが、殺伐とした緊張感につつまれたフランチャイズ餌場みたいなものだとすると、時代はこっち側に揺り戻してる気がする。

今日もお客さん、けっこう入ってるし。

金魚?それから

Photo: 金魚 2005. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.
Photo: "金魚" 2005. Contax i4R, Carl Zeiss Tessar T* F2.8/6.5.

死んだ、という知らせを聞いて 2ヶ月。ようやく、僕たちは彼の生まれ故郷にやってきた。もっとも、ここまで墓参りに来るとは、正直思っていなかった。街は東京から遙か遠く、実際にどこに墓があるものかも、僕は知らなかったのだ。

しかし、筋書きがあったかのように、彼が葬られた場所を知る人に連絡がついた。そしてその日、誰が予定を合わせたわけでもないのに、彼縁(ゆかり)の人間が 4人集まった。

豊かな漁場に面した湾の周りを囲む山の一つに、墓地はあった。コスモスの花が咲く小学校を過ぎると、急な斜面に沿って沢山の墓標が街を見下ろしてい る。山の中腹にある彼の墓へ続く道は狭く急で、休み休み登っていく。途中、大きなカマドウマが、日に温められたアスファルトの上をノロノロと歩いていっ た。


意外にも墓は新しく、大きかった。彼の名前は、未だ彫られていない。誰が供えたのか、小さなトマトが 3つひからびていた。一束の線香を点し、ペットボトルからミネラルウォーターを墓石に注ぐ。手を合わせたら、酒の準備だ。

ちゃんと、栗焼酎と、唐辛子と、大葉と、氷をもってきた。麓のコンビニで買ったプラスチックのコップで、金魚をつくる。見た目はちょっと安っぽいが、材料は申し分のないホンモノの金魚。「金魚って何ですか?」と聞く同行者に、説明をする。彼がこれをよく飲んでいた記憶はあるのだが、本当に好きだったのか、今となっては自信がなくなってくる。自分が死んだら、いったい何が供えられるのだろうか?いくら好物でも、漬け物とかシウマイとかを供えられるのは、間抜けな話か。


暫くお供えして、皆でそれを飲む。日の光の下で飲む金魚は、ひときはきつく、胃に落ちていった。煙草も供えられた。彼は煙草を吸っていただろうか? 直ぐに思い出せない。彼が生きていた頃の話をしつつ、初秋を迎えた盆地を眺める。ここで生まれて育ち、そして今帰ってきたのだ。どんな子供時代を過ごした のか。遠く離れた猥雑な街で、独り最期に何を思ったのか。終わってしまえば、人生はなんて小さいものなんだろう、そんな悲しい考えが過ぎる。

ここからは、大きな糸杉と、緑に覆われた山々が見える。海は、うまく見えないが、海流の運んでくる風を感じる。ひとしきり眺め、振り返ると皆の話は、世俗の諸々の事に遷っていた。

「じゃあ、行きましょうか」と誰かが言って、僕たちはその場所を後にした。帰り道では、さっきのカマドウマが相変わらず、ノロノロと歩いていた。