中国からの観光客が絶えて、静まりかえった築地。その向こう側に広がっているのは、豊洲の貯木場跡らしい。
一時のことかと、この時は思っていた。しかし、それから数カ月に渡って、この東京の不思議な姿を、眺め続ける事になった。
見るものが居ない桜が散って、海へと運ばれていった。
写真と紀行文
中国からの観光客が絶えて、静まりかえった築地。その向こう側に広がっているのは、豊洲の貯木場跡らしい。
一時のことかと、この時は思っていた。しかし、それから数カ月に渡って、この東京の不思議な姿を、眺め続ける事になった。
見るものが居ない桜が散って、海へと運ばれていった。
年に一度、もしくは半年に一度のスナックは、ある種の人生の修行として、自分に課さねばならない何かなのかもしれない。最後に行ったのは、未だ寒い時期だった。
よく「場末のスナック」という慣用句が有る。そのスナックは、まさにそれを再現するために、プロが組んだセットのような、酷いおんぼろさ加減だった。今にも崩れ落ちそうな階段を登り、軋む扉を開けると、一気に立ちこめる安い香水と、煙草の臭い。天井は低く、床は波打っている。
「この人、何の仕事してるか分かる?」
僕をスナックに連れてきた同僚が、要らない振りをする。
「んー、お医者さん?」
そういう社交辞令のテンプレートのようなものが、スナックにはあるのだろうか。あるいは、スナックに馴染もうとしない僕の冷淡さが、そういう印象を本当に与えたのだろうか。
ソファーの上の、くたびれた縫いぐるみ。煮染めたような壁、そして、床から生えているんじゃ無いかと思うようなキャストの方々。僕はこの店で金を払ったことは無い。僕をここに連れ込む悪い大人達が、気がつくと金を払ってしまっている。
でも、金を払ってもらっている立場で言うことでは無いが、いったい、ここに金を払って飲みに来るというモチベーションは、どうやったら生まれるのだろうか。いったい、この店は開店何十周年なんだ。
スナック検索サイト(そういうものが、あるのだ)によれば、開業から2年、だって。世界線が揺らいでいる。
つぼらや閉店の報が、タイムラインに流れてきた。
くいだおれビル、つぼらや、かに道楽。大阪の風景を構成する超有名店、しかし誰が行っているのか。かに道楽はたまに行くね、静かで、美味しい。少し高い。
つぼらやは行ったことが無い。場所が、ちょっと行きにくい気がする。つぼらや、撮っていたはずだと思って探したら、覚えの無い夜景が出てきた。昭和みたいな雰囲気が出ているのは何故か。平成の写真だし、21世紀なのに。