ブルー

Photo: 1999. Shiga highlands, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

Photo: 1999. Shiga highlands, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

絶妙のタイミングで山の向こうから日が射し、雪面にブルーのシルエットをくっきりと描いた。写真は、光を捉える芸術。そんな言葉に納得する瞬間。

それにしても、雪景色を撮るというのは難しい。光があらゆるところから反射し、どう露出をとればいいのかまるで分からない。どんな風に写るか予想できないので、出たとこ勝負の写真になってしまう。カメラに内蔵されたハイテクも、あまり役にはたたない。

それから、僕が使っているT2には、フードをつけたりすることが出来ないので、どうしてもレンズに余計な反射光が集まってしまうようだ。かといって、一眼レフをもってスキーを滑るのは、嫌だが。

暖炉

炎が、揺れていた。大ぶりの薪が、タイル張りの暖炉の中に積まれている。炎が、柔らかい光を撒くと、煙突に向かう薄い煙が、チラチラと照らしだされた。パチリ、かすかはぜている。

周りはみな、本や雑誌に目を落としている。僕だけが、じっと炎を見つめていた。窓の外では、雪が勢いを弱めることなく、降りつづいている。

その日の泊り客は、僕たち4人だけ。飛び込みの宿泊を快く承知してくれた宿の人が用意した夕食。鹿の刺身、茸を山ほど入れた鱒のホイル焼き、セロリ を刻み込んだスープ、野菜を山と添えたステーキ、そして手作りの漬物。スキー場の宿で、これほど心づくしの料理に出会うのは珍しい。

夕食後、せっかく用意された暖炉に向かわないのは、あまりに無粋というもの。少し怪しい足取りで、暖炉の周りに置かれたソファーに身をうずめる。普段より量の多い夕食と、ビールのアルコールが眠気をさそう。

炎を見るのが、こんなに面白いものだったかと改めて思い直す。木から生まれた炎は、一時として同じ形を保つことはなく、燃えつづける。なんでもない 木。そこから、突然炎が立ちのぼっている。すぐ後ろにそびえる雪山、降り続く雪の中に冷え冷えと立つ樹木。その中に、こんなに暖かい光が隠されていること を、どうして想像できるだろう。

薪が炎に変わってゆく。そんな不思議な光景。

一番太い薪が燃え尽きてしまうまで、ずっと見ていた。

「力」の偏在

シンニード・オコナーという歌手は、一時期、メディアから抹殺されていた。理由は、ローマ法王の写真を、あるテレビの生放送中に破いたから。キリス ト教本来の教義に従えば、法王の写真を破こうと自分の兄弟の写真を破こうと、意味は同じだと思うが、そこはそれ全然違うわけだ。

あるいは、そのローマ法王が、サイクロンでぼろぼろになったインドを訪れている。ロングストレッチの完全防弾仕様メルセデスから降り立つ法王。着 飾った人々が法王を迎える。柔らかい芝生の庭園、カトリック式の御香の煙、一面に撒かれた色とりどりの花びらの匂い。その塀の外。泥にまみれ、ゴミみたい になった被災者が映し出される、市中の惨状とのコントラスト。

非難する気は全くない。そういうものに対して、矛盾を感じたこともあった。が、今は感じなくなった。そこにあるのは矛盾ではなくて、世界そのものであることを知ったからだ。

そうした事件、あるいは景色が意味するのは「力」の偏在である。力の偏在という言い方自体、ある意味矛盾しているかもしれない。偏っていなければ、それは力とは言えない。そんな気もする。