自虐系サイト

最近では、自虐系のサイトじゃないと読者には受けないらしい。羊ページみたいなスタンスは、あんまり受けないらしい。自虐系。下ネタ、内輪ネタ。泥酔した友達同士の会話か、あるいは深夜の長電話、そんな文章。うーん、楽しそうだな、確かに。

テレビも、ラジオも、雑誌も、Webも、メディアの世界では楽屋落ちが全盛。

ゴールデンウイーク中、久しぶりに長い時間ラジオを聞いた。どのDJも、「いやーー、世間は楽しいお休みですけど、私は仕事。なにやってんでしょう ねー」なんて調子で話しをつないでいる。もしレストランで、「いやー、お客様、今日はお休みですか?私なんかもう大変なんですよー、こうやって朝から、え んえんとお客様のお相手でして、、」なんて言われたら、間違いなくむかつく。しかし、メディアにおいては、こういうノリが許される。

僕自身、自虐系のサイトはかなり好き。ブックマークにもいくつか入っている。(というか、大半はその手のサイトだという気もする)しかし、自分でそ ういうものを書こう、という気にはならない。そういうものを書く才能自体、僕にはないけれど、もし、そういう路線で書いていたら、とっくの昔にこのページ は無くなっていただろう。

だいたい、その手のサイトは面白いけれど、長く続くことはほとんど無い。もって1年というところだろうか。でも、それは仕方のないことだと思う。自虐系、と言われるサイトの多くは、よそ行きでない自分を曝し、晴れ舞台ではない場所で、勝負している。

しかし、インターネットは所詮、実世界の上に成り立つ現実の世界。そこには、現実の人間がいて、社会がある。その現実の世界で、玄関を開けっ放しに して、住みつづけるなんてことは、やはり無理な相談なのだ。もし自虐という路線をとり続けるならば、もはや「芸人」として、客と相応の距離を測りながら やっていくしかない。そして、僕は「芸人」になるつもりは無く、従って自虐系でいくつもりも無い。だから、読者との距離は大事にしたい。

つまり、「羊ページ」はこれからも相変わらず、距離をおきまくったサイトでいきます。よろしくね。

コンセントに差し込んで、、

通販の番組を見ていると、コンセントに差し込んでネズミやゴキブリを撃退する電気製品を紹介していた。

原理は簡単で、強力な高周波を電源配線に流し、電磁波で害虫・害獣をおっぱらうというものらしい。電磁波の体への影響が問題視されている時に、それ を逆手にとって「電磁波でおっぱらう」というコンセプトが素敵だ。確かに、体に悪いぐらいだから、ネズミだっていちころだ。「効きそう」という点では、砒 素配合殺虫剤とか、アセトアミノフェン配合解熱剤などと同じである。

でも、ウチにはそういうものは必要ない。食糧事情の悪いウチでは、そういうものはとっくに死に絶えている。なにせ、ゴキブリを飢え死にさせたこと だってあるのだ。(昔、力なくゴキブリが這い出てきたが、食糧事情が悪かったらしく、床をたたいたらひっくり返って二度と起き上がらなかった)

行列の出来る、まずいラーメン屋

行列の出来る、まずいラーメン屋がある。

昼時、(暑くもないのに)腕まくりをしたオヤジどもが行列をつくるラーメン屋。昼間からラーメンを食べる、という感覚が僕には無いから、(特に、東 京ラーメンは昼間に食うものではないと思う)なんとなく敬遠していた。しかし、あまりにも常に行列ができているので、ある日、ついに暖簾をくぐった。もし かして、ウマイのかも?

店内は、平均的ラーメン屋の風情。汚すぎでもなく、キレイすぎでもない。(キレイなラーメン屋というのも、少しイヤだ)しかし、店内に貼り出された メニューは、やたらに種類が多い。メニューが豊富なラーメン屋が、うまかったためしはない。水の出てきたコップは、末期的に汚い。店内は、オヤジどもで いっぱいで、それも、なんか仕事の一線からは外されました、みたいな雰囲気の人が多い。どう考えても、やばい感じがしたので、普通のラーメンを頼んだ。

しばらくして、腹立たしいほど、なんの美味さもないラーメンが出てきた。正確に言うと、不味い、のではない。美味くないのだ。まずい、ならば面白い からまだいい。不味いものは思い出になる。美味くないものは、なんの思い出にもならず、やるせない感じだけが残る。うどんと山菜御飯のセットにサラダを付 けられたときのような、あるいは、山奥の民宿でマグロの刺身を出されたような、そんな嫌さ加減と言えばわかって頂けるだろうか。

出てくる料理は、最初味がわからないくらい熱い。親の敵のように熱い。(僕は、猫舌、猫手なので熱いものは基本的に苦手だ)舌は化学調味料でしび れ、醤油の質は限りなく低く、麺からはウンザリするほどのかんすいの臭い。それを、オヤジどもがフーフーいって食べている、フーフー。しかも、皆、満足げ に麺をすすっているのだ、フーフー。一緒にそのラーメン屋に行った同僚達は、うんざりした顔で、顔を近づけるだけで息苦しくなるほどアツアツのタンメンと 格闘している、フーフー。僕の味覚が問題というわけでは、ないらしい、フーフー。


僕は、その美味くない熱湯ラーメン自体に怒りは感じなかった。店主は、手を抜いて作っているわけではなく、ラーメンはこれでいいのだと、確信してつくっているようだった。むしろ、そんなラーメンを嬉々として喰っている見知らぬオヤジどもに、あきれ、恐怖した。

別に、美味いものを喰わなければいかん、などというつもりは全く無い。なんというか、美意識というか、センスというか、そういうものの完全な欠落が 悲しいのだ。だって、このラーメン屋の近くには、いろいろと美味しい店がある。手ごろな値段で、オヤジ好みの和食を出す店だってある。なのに、なぜここで 喰う。行列する。こういう人たちが、OLの手によって、ぞうきん汁入りのお茶とか飲まされてるんじゃないだろうか。言っておくが、このラーメン屋、値段は 決して安くはないのだ。こんな人たちに、食事を作っている奥さん達は(このオヤジどもは、どうみても、自分で作りそうにはない)、さぞかし、やりがいがな いに違いない。

「なんか食わしときゃいいのよ、どうせ味なんて分かりゃしないんだから」

注:作者は、「ホンモノのお茶くみ」というのを見たことがないので、想像。