「自分はっ、大学時代はっ、、」
僕の横で、さっきから一人称「自分は」を繰り返している、ゴリラみたいな男を眺めていた。営業所の空調は切られていて、開けはなった窓から、初夏のなま暖かい風が吹き込んでいた。
「で、キミはどうなのかね?」
僕に質問が振られた。多分、この会社は、一人称に「自分」以外を使う人間を必要としていない。それは、今までのやり取りから、既に確信していた。
「はぁ、私は、、」
やたらめったら出した、就職活動のセミナー申し込みハガキ。僕は、ほとんどあらゆる業種に応募した。中でも、移動通信関連産業には、最も注目していた。折しも、携帯電話市場が、爆発的な成長を始めようとしていた時期であり、そこには際限ない右肩上がりの予感があった。
そして、てっきり通信業界かと思って参加した「その会社」のセミナーの資料には、意外な業務の実体が書かれていた。その会社、社名は通信関係のサー ビス業を匂わせているが、実はコピー機と携帯電話のディーラーだった。資料を読めば、会社の体質は一目瞭然。営業成績とそれに伴うインセンティブが全て。 つまりは金が全て、ということ。そんなの、願い下げだ。面接試験以降、僕はその会社に二度と呼ばれなかった。
しばらくして、新聞の一面に、しばしばその会社の名前が登場するようになった。間もなく、その会社は急激な株価の上昇によって、日本の新興企業の代 表格に祭り上げられていった。証券会社が「お勧めの銘柄」として紹介し、週刊誌には提灯記事が踊った。ネット関連株と言われていたが、実際はそうではな い。結局は、携帯電話を中心とした物販会社だった。しかし、その会社の株がブームになってしまうと、だれもそんなことは気にしなかった。
あの会社の業態、あの会社の戦略で、その株価は妥当なのか?そんな疑問にはっきりした回答はないまま、株価は上昇を続ける。僕は、その銘柄に全く関心が無かった。だって、コピー機と携帯電話のディーラーなのだ。それ以上でも、それ以下でもない。
一時期、20万円を超えた株価は、初の営業赤字決算を境に突然暴落する。連日ストップ安、売りが殺到しての比例配分、関連会社の相次ぐ倒産と、株主にとっては悪夢のような2ヶ月が過ぎた。今では株価 5,000円を大幅に割り込みながら、なおも下げ続けている。
安物の折り畳みテーブル、パイプチェア、冷房の切られた室内。にこやかで、無個性な面接官。とにかく金を集めてくること、それ以外は、最低限で十 分。僕が見たあの会社の印象は、そんな感じだった。人間を使い捨てにしそう、そんな気がした。そして数年後、ついに一つの幕切れ。