それでも、止まってしまうことがある。
頭を抱えて、恥ずかしさと、後悔と、怒りと。それでも、耐えなくてはいけない。
写真と紀行文
それでも、止まってしまうことがある。
頭を抱えて、恥ずかしさと、後悔と、怒りと。それでも、耐えなくてはいけない。
F1を見ていて思うのは、これって金かかってるなぁ。この一言に尽きる。
テレビで見るのではなく、実際にサーキットに行ってみると、F1というのは本当に大きなイベントなのだと感じる。それは、何万人もの観客を集めて行 う、秋の大運動会みたいなものだ。そして、決勝の日というのは、言ってみれば最後の競技種目、クラス対抗リレーみたいなものだ。
上空を見上げると、取材なのか観戦なのか、ヘリコプターがひっきりなしに飛んでいる。
早い話が、なんにも無いところから車をつくって、世界中を周りながら走らせるわけだ。きっと夢のように楽しくて(好きならね)、悪夢のようなプレッシャーのある仕事なのだろう。そして金もかかる。
そんな風にしてつくった車も、当たり前だが、止まる。
止まってしまった F1マシンはなにもできない。ロードクリアランスは極限まで低いから、グラベルで止まってしまったらなかなか抜けられない。レーシングカーには詳しくないのだが、多分、バックなんてろくにできないんじゃないかと思う。(そんなギアないのかも)
見せ場の最終コーナーで、マシンが止まった。マーシャルが押していく。止まったマシンに注意を払う観客はいない。それは、ただの障害物。
カポーーン。風呂だ。
清潔なコンクリート製の壁づたいに少し歩くと、夜空が開けている。月明かりの下に、湯煙が上がっている。とくとくと湯船に満ちた湯を、ザーッとこぼしながら浸かる。
友達は既に上がってしまって、僕は一人きりで、湯に身をまかせていた。夜の川は、当たり前のことだけれど、休む素振りもなく、流れ続けていた。一人 きりで、じっと空を見つめると、生きていることの危うさと確かさみたいなものを感じる。微かな照明に誘われて、羽虫が飛んできて、湯船に落ちる。
地上から見る月の大きさというのは、せいぜい5円玉の穴ほどの大きさしかないのをご存じだろうか。もっと大きく感じているのは、実は人の錯覚。月は、人にとって最も親しい、夜の友人。だから、大きく見える。
月は、年々地球から遠ざかっている。45億年前、地球から20,000km、ロッシュ半径のぎりぎり外側に誕生した月は、今日、380,000km の彼方にある。そして、確実に地球から遠ざかり続けている。やがて、夜空に月が見えなくなる日が来る。むろん、人がその時まで存在しているのかは、甚だ疑 問だが。
夜中、カメラを星空に向けて、星空の撮影に挑戦。虫の大群に襲われた。自然の中での撮影というのは、やっぱり難しい、、。