
用賀、何のイメージも無い街。駅前のスーパーは、とにかく今日は蒸し蛸推しだ。小綺麗というのがぴったりな街並みの、人工感、富裕感、そんなものに軽く圧倒されながら、LEXUS用賀の横を通って砧公園に向かった。GPTが提示した目的地は、公園の一角にある世田谷美術館。今日は写真展が開かれている。
写真家 野町和嘉の名前を僕は知らなかったが、多分見覚えのある写真はあった。NHKのドキュメンタリーで見たのかもしれない。エチオピアのキリスト教会をテーマにしたパートの、異世界感、古代感。ミュージアムショップで、光沢印刷が美しい80年代当時のエチオピアがテーマの絶版本を買うことができた。写真家の家に在庫されていたのだという。もう、この先どんどん限られて行くであろう、紙の写真集を買う。(集めている)
80年代に世界を巡ることができたのは、とんでもない幸運。今は、それはただのYouTuberレベルの話になってしまう。今時、ドキュメンタリーなんてものは流行らない。それがとうに、フィクションであることは分かってしまっている。映画の論法を使えばギリギリ存在できるか?というぐらいの所ではないか。
世界をめぐって写真を撮る、そういえば自分はもともとそんなことがしたかったんだな、というのを思い出した。だが、今の自分に何ができるだろうか。家を空けて長期に旅にでる。世界の写真を撮る?2025年に?それはいささか、需要も供給もなさそうだ。あるいは旅のエッセイ?そんなものを最近自分は読んだだろうか。
写真家が、自分の撮影してきた時代は、世界がフラットになる前の最後の時代だと書いていたことは、全くその通りなのだろう。今から、何の意味を背負って世界に出て行くことができるのか、その必要があるのか。もっとも、必要なんてものはどうでもいいのだと僕は知っている。自分が十分にやりたいことをやっているのか、それだけの話。




