シリコンバレーの凋落と、Uberの搾取。あるいは、BigBet.

Photo: “Big Bet from BURGER KING.”

Photo: “Big Bet from BURGER KING.” 2023. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

以下は、2020年に書いたメモから。時間は経過したけれど、基本的に感じていることは変わっていない、どころか強くなっていると思う。


少し前に何かのオンラインセミナーを見ていて(近頃はなんだってオンラインセミナーだ、とても助かる)、シリコンバレーで働くをテーマにしたパネルディスカッションがとても面白かった。ビッグテックで働くキラキラライフ、みたいな内容かと思ったら、パネラーの中にシリコンバレーは将来デトロイトみたいになる、と断言するアメリカ人が居て面白かった。

実際、シリコンバレーから他州に本拠を移す企業は増えているし、新しく注目されるテクノロジー企業は、米国が本社ではなかったりもする。それはともかく、彼はシリコンバレーが見捨てられる一つの理由として、それが生み出した経済の「業」について言及していた。曰く、当時シェアリングエコノミーの輝ける星だったUberを、一握りのテックが儲けるだけの搾取の仕組みだ、と言い切っていたのだ。

Uberは、人生はお金に変換可能だ(残念ながら、その逆は無い。)、という事を分かりやすくデジタルに現出させる。Uberを、お金がもらえる位置ゲーと捉えられる人にとってはなかなか良いだろう。そうじゃなければ、厳しい。街を急ぐ、コミュニティーサイクルにまたがった自営業者の姿を見ながら、ある種の寒々しさを感じるのは、僕が十分にテックの明るい未来を信じられていないからだろうか?


こうしたサービスの捉え方は、その人の立場によって違うだろう。時間は無限にあって、それを換金することが、とても割の良い取引に思えるなら、つまり一般的に言えば十分に若い人にとってなら、自由で選択的な働き方として、魅力かもしれない。しかし、何の経験値も残らない、何のロードマップも無い、使う側からすれば、無限に取り替えが利く。いかに洗練されたシステムが構築されていたとしても、本質的には代替可能な労働力を効率よく使うというのが、鍵になってしまう。

もちろん、そういう種類の労働は無数にある。ただ、それをテックが追求したときに、恐ろしく逃げ場の無いものができあがってしまうのではないか。それは恐らく、理想と、善意と、相当な無関心、あるいは想像力の意図的な欠如によって運営される事になる。なお悪いことに、利用する側にとっては、とても便利でコストパフォーマンスは高いに違いない。


ーーー2023年。初めて、Uber eatsを使ってみる。家までバーガーキング(徒歩圏には無いのだ)のBigBetを運んできてくれた青年は、恐ろしく感じが良くて、180センチはありそうな堂々とした体躯だった。完璧なコンディションで届けられたワッパーを受け取りながら、とはいえ、Uberをやることは2023年現在、まだ十分にクールな事なのかもしれない、とも思った。

ウニより、うにせんが好き

Photo: “都合良くウニの写真なんてない。”

Photo: “都合良くウニの写真なんてない。” 2017. Tokyo, Japan, Apple iPhone 6S.

それにしても、改めて気がついたのは、ウニの寿司はそんなに好きじゃ無い。

大昔に、ホビージャパンのコラムに書かれていた(そういう小さいコラムのようなものが昔から好きだった、なので自分でも書き始めた)、北海道かどこかのウニ丼、ご飯の上にネギか何か薬味がのってて、それにウニがのってて、みたいな数行の記事を見て、親にウニを買ってきてもらって食べたのだ。


親も別にウニ丼なんて見たことも無かったのだと思う。ご飯の上にネギ、その上にウニ、みたいな文章通りにできあがった茶碗の中のウニ丼。なんか、正直、完璧にうまかったわけじゃないけど、買ってもらった手前喜んだというのは否めなかった気がする。

でも、実はうにせんのほうが、素直においしいのだ。スーパーで買える中では一番美味いと思うヤツが、成城石井で一時期姿を消していたが、最近また買えるようになって嬉しい。

シンプルに不自由

Photo: "Night market."

Photo: “Night market.” 2019. Taipei, Taiwan, Fujifilm X-Pro2, Fujifilm M Mount Adaptor + Carl Zeiss Biogon T*2,8/28 ZM

セブンの新製品「冷やし豚中華」のレビュー。

友達が買ったという、新製品のレビューを見ていると、これは味の個人の感想なので云々、という注意書きから始まっていた。公的な味の感想、などというものがあるのか。食ったモノの感想が人の味覚に依存することを、いちいち書かないといけない時代なのか。YouTubeのレビュー動画も、しつこいぐらいそんな注釈が入る。そこに文句を付けるヤツが居るという事なのか。

ーーー無論、そういうヤツが居るのだ。


表現に対するプレッシャーは強くなっていると思う。コンテンツを公開する前に、一旦、皆で集まってリスクを洗い出す。ここはちょっと、受け取り方によってはマズイよね?そんな「予感」みたいなものを、もし2人が感じたらそれはもう、確実にマズイ。そこは修正されるか消される。事実関係とか、そういうチェックとはまた違う、何かに対するコレクトネス、そういうプレッシャー。

作り手の立場になるととても言えないことを、消費する側は簡単に言えてしまう。作り手がそれを把握して、飲み込む義務は無いのだけれど、どうしても、そうすべきと言うプレッシャーとか、社会的合意が有る。一方で、作り手を保護する仕組み、表現を守る仕組みに対する擁護は、心許ない。


台湾の納税サイトの改善にあたっての取り組みを、唐鳳(オードリー・タン)が紹介していた。意見を言うものと、作る者の間に、調停者を置いて、意見をマイルドにして伝える仕組みが導入されたという。確かに、日本のe-taxの改善提案サイトのようなものを作ったら、それは罵詈雑言とカオスになるのは目に見えている。開発運用の担当者が(多分、あのサイトがああなっているのは、開発よりももっと前の所の問題だと確信するが)、それをまともに直視できるとはとても思えない。何らかの調停者とか、モデレータが必須だろう。

あるいは、同じく台湾の公共プロジェクトのコミュニティーには、リプライを禁止して、意見しか言えないようにする仕組というのもあるそうだ。反対意見はもちろん提示出来るが、それは反論のリプライ、ではなくて、あくまで自分の立場表明になる。そういう、コミュニケーションの方法論そのものを、プラットフォームに合わせて新しくする時が来ている気がする。