焼き魚定食

Photo: 卵納豆もつけてみました 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8

Photo: "卵納豆もつけてみました" 2003. Tokyo, Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8

東京、某所。表にランチメニューなんて貼ってない。一見には敷居が高い、というか、無理。

暖簾が下がっているわけだが、最近の良くある飾りみたいな高い位置にあるやつじゃなくて、ちゃんと潜らないと入れない。だから、入(はい)り口のあたりの布が、ちょっと寄っている。それがまた、難易度が高い。

それでも、魚を焼く芳ばしい香りに惹かれて引き戸を開けると、店の中は、かなーり昭和。で、凄い混んでる。戦場。客筋は食通っていうのではなくて、昔からこの店で喰ってる、みたいな人が多い。

数名のおばちゃんと、焼き方の板前(老練)が、謎のロジックで大入りのお客さんをさばいている。飯は軽めが良いとか、納豆から卵を抜いてくれとか、 早く焼けるやつをくれとか、そんな混沌とした注文をさばいている。厨房の脇の席で、恐ろしく熱いほうじ茶を飲みながら様子をうかがってみるが、どうやった らこれで注文を間違えないのか、さっぱり分からない。


メニューは定食だ。魚の焼き物が数種類。壁に貼った定食の短冊は、もはや変色している、何年も同じだ。日替わり、みたいな軟弱なものはない。ここには鯖味噌も、生姜焼きもない。焼き魚か刺身を食う店なのだ。

皿からこぼれる大きさの照り焼き。ちゃんとした焼き魚。熱々の味噌汁には、でかい木綿の豆腐と、若布。黙々と手で盛りつけられていく、刻んだ糠漬け (凄い旨い)、手加減の無い盛りの飯。ちょっと前は、昭和な塩分濃度だったけど、最近薄味になってきた気がする。時代の流れか、でもさすがにこれは歓迎す べき事だと思う。


表の塀では、三毛が刺身の切れっ端を夢中で食べている。奥の小上がりでは、僕が鰤照りを大喜びで食べている。

Cocco, Heaven’s hell

Photo: 僕が昔撮った沖縄の写真と、cocco が撮った沖縄の写真(パッケージ) 2003. Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.

Photo: "僕が昔撮った沖縄の写真と、cocco が撮った沖縄の写真(パッケージ)" 2003. Japan, Sony Cyber-shot U10, 5mm(33mm)/F2.8, JPEG.

沖縄という土地は不思議だなぁと、僕は思っている。離れれば、それだけ、インパクトがある。変に政治とか歴史とか、そういう話にしてしまう奴はほっといて、矛盾のカタマリみたいな島だけれど、日本の他のどこにもない引力みたいなものがある気がする。

2年前に突然休止宣言をしてメディアから消えた沖縄出身の歌手、cocco。 彼女は、いわゆる職業:アーティストというんではなくて、ホンモノの歌手だと僕は思っている。で、この2年、彼女は故郷の沖縄で、海辺のゴミをひろってい たらしい。そんな彼女が沖縄の子供達の合唱をバックにして、10分間だけのコンサートをやった。その DVD が出た。


「coccoって、誰?」集まらないボランティア。いまいち練習に興味の乗らない、今時の子供達。商業的なカメラと舞台のスタッフ。昔の東 京時代のスタッフ。きれい事じゃない、いろんな矛盾と、大人の世界の話もまきこんで、それでも、最後に合唱団と観客を納得させたのは、彼女の歌だった。

この DVD、凄いよくできたドキュメンタリーとかじゃないんだけど、真摯に生きてる彼女の姿と、歌になって出てきたものの圧倒的な才能 +? みたいなものが凄い。
「(大人になっても)持っておこうと思ったら、持っておけることが、いっぱいあるから。
忘れないでおこうと思ったら、忘れないでおけることがいっぱいあるから」

子供達に語られた言葉は、僕にもっと良く響いた。

変に大人にならないで。他人のせいにすることと、自分への言い訳を積みあげないで。大事なものを捨てないで。先に進むことを怖がらないで。そういうことなのだと思う。


コメント:筑紫が邪魔
注:もし舞台とかカメラもボランティアだったらすまん。ああいうのって、カネかかるから、、。逆に、カメラが回ってないと、僕らは DVD では見られない訳で、、。
Cocco, Heaven’s hell, 2003, Victor Entertainment, Inc.

美の時代

Photo: 晩秋赤煉瓦 2002. Sapporo, Japan, CONTAX T3, Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak EBX.

Photo: "晩秋赤煉瓦" 2002. Sapporo, Japan, CONTAX T3, Carl Zeiss Sonnar T* 2.8/35, Kodak EBX.

テレビで、美輪明宏が「現代は恐ろしい時代だ」と言っていた。

陰鬱なニュース、暗い時代。

食欲、性欲、金銭欲、そういったものを皆求め、そういったものが大事だとされ、そうしてこの現代ができあがった。そこでは、精神性とか、叙情性とか、そういうものは、単なるマーケティング上のレトリックに貶められた。

モノとカネはあるけれど、品位も誇りも、穏やかさもない。そんな金ぴかのゴミ溜めは欲しくなかったのに。気が付いたら、僕たちには、選択肢がほとんど無い。僕たちの(あるいは、僕たちのちょっと前の)世代が捨て去ったものは、あまりにも大きすぎた。


昔、美が、他のいろいろなものに勝ってもっと大切だった時代があった。そんな話は、現代に生きる僕からはとても信じられないことだけれど、そんな時代に生きてみたかったと思う。


注:札幌の赤い煉瓦。もう、昔のような煉瓦は今では焼けないという。明治の時代、ドイツから来た職人が焼いた煉瓦は、人の手によって打ち壊されなければ、あと何百年か、持つだろう。今の日本で、百年後の事を考えている人は、ほとんど居ないと思う。