江藤淳が死んだ

江藤淳が死んだ。自ら命を絶った。江藤淳の評論を好んで読んだことはないが、名前に聞き覚えはあった。

でも、作家や評論家が自殺しても、誰も不思議に思わない。そこには、まあ、そういうものかな、と思わせるような部分がある。

文章を書く人間には、いろんなタイプがいる。中には、ギリギリのところで何かを削るようにして文章を書く人もいる。もともと、文章を書くというのは、ものすごく厳しい、というより、ほとんど悲惨としか言いようのない作業である。

僕には、文章を書くことで生計をたてる、作家や評論家というものが、果たして職業と言えるのかどうかさえ疑問だ。ものを書く人は、結果として職業にはなっているにしても、やはりもっと違う部分で書かざるおえないのではないか、という気がしている。


書く才能を持った人、というのは、たぶん普通の人とは違った「もの」を見ている。(「日(々)のこと」で五月の雪の作者も書いているが)そして、それをある種の使命感や、衝動によって紙の上に(最近ではキーボード)表現していると思う。

しかし、その才能が見せる「もの」は、時に自分自身を、致命的な場所に追いつめる。「もの」が見える力があるからといって、それに耐えられる力があるわけではない。文章を書く人間は、自分を傷つける程の力をもった、「もの」を見つめながら原稿用紙のマスを埋め、キーボードのキーを叩くのだ。それは、 きっととても残酷で、孤独な闘いだ。


そういえば、高校の時に僕に目をかけてくれた国語の教師が、「君には是非、ヘミングウェイを読んでもらいたい」と言っていたことを、ふと思い出した。あとから考えてみれば、その作家は確か猟銃で自ら命を絶ったのだが。

文化的雪かき

村上春樹のダンス・ダンス・ダンスに、「文化的雪かき」という表現が出てくる。

このページは、さしずめ電子的雪かきのようなものかもしれない。と思った。

ムトゥ、踊るマハラジャ

「ムトゥ、踊るマハラジャ」、めちゃくちゃ面白い。


筋はあきれ果てる程、単純明快。恐らく、字幕が無くても理解可能だ。(ちなみに、インド映画に台本はないらしい)その筋をもり立てる、脂ぎったヒーロー、ムトゥのタオルアクションと、ヒロイン、ランガナーヤキの腰フリダンス。これでは放送禁止限界だ。

随所に挿入される脳をとろけさせるタミル・テクノにあわせた、チームダンス。アヒルや、鶏を、リズムに合わせてカットに挿入する(というか、リズムに合わせてフレームの外から、スタッフがアヒルを投げ込んでいるのではないかと思う)、見たこともない手法。

そして、「全編を通していったい何万人出演しているんだ?」と思わずにはいられない、膨大な数のエキストラ。まさに、インドの資源を余すところ無く活用している。


ついでに言えば、まともに撮ろうとした部分の映像(とても少ないが)のクオリティーはとても高く、欧米の映画にひけはとらない。特に、ムトゥ出生の秘密が明かされるあたりでは、一級の歴史映画ではないかと思わせる緊迫したカットが展開される。

娯楽の一線をかたくなに守った映画だが、随所にセンスの良さが光っている、、無駄だが。


これは是非、映画館で見なければならない。