脆いから愛しい

Photo: 2002. Chita Peninsula, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Fuji RHP III, F.S.2

Photo: 2002. Chita Peninsula, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Fuji RHP III, F.S.2

描く事が、描くためのエネルギーを生む。描かないと、描くエネルギーも生まれてこない。

横尾忠則を特集した番組で、そんな彼の言葉が紹介されていた。


ここ暫く、何も書く気がしなくて、なんとなく何を書いても同じだろ、という気分になっていた。

それでもこうして無理やり書いていると、少しはまた、書けるようになってきた。所詮は、そういうことの繰り返しなのだと思う。そうやって、歩いていく。


そういえば。

脆いから愛しい、というフレーズを、あるやりとりの中でもらって、ハッとした。強くある事が、真実というわけでもないのだ。

生まれた

Photo: 2002. Kyoto, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EB-2, F.S.2,

Photo: 2002. Kyoto, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EB-2, F.S.2,

「茶碗夫婦」に女の子が生まれた。

僕は先週、奥さんのために、蝉の鳴く比叡山で安産のお守りを買ったのだけれど、それを贈る暇もなく生まれた。僕はどうも、贈り物のタイミングを逃しがちだ。


もう一人の友達と、子供が男の子だったら名前は「ムサシ」にしよう、と勝手に決めていたが、女の子の名前はまだ決めていなかった。良いのが思いつかなかったのだ。

茶碗夫に「ムサコにする?」と冗談で訊いてみたが、嫌そうだった。


電話口の茶碗夫に、僕は「おめでとう」と言った。彼は「ありがとう」と答えた。

僕も、彼も、こういうことは、はじめてだったから、なんと言えばいいのかよく分からなかったのだ。世の中には、多分、こういう場合にふさわしい言い回しみたいなものがきっとあるのだろう。

どうでもいいことだけれど。

幸せの家族

Photo: Photo: 2000. Tamagawa, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, AGFA APX100(Mono)

Photo: Photo: 2000. Tamagawa, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, AGFA APX100(Mono)

梅雨の晴れ間の日曜日、お父さんの自転車に乗せられて、風が頬っぺたを伝う。

多分、この日の事を君は忘れてしまう。でも、いつかこんな空を見上げて、何故か懐かしくなるのかもしれない。


僕は、そんな君の景色を、そっと撮った。

僕には、こんな思い出がない。だから、君の幸せがちょっとうらやましくて、それ以上に、君の景色が大切に思えたんだ。