それはウォーキングではない

Photo: 山間の紫陽花 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: “山間の紫陽花” 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

俺は、ウォーキングを趣味にすることにした。

友人が、そう高らかに宣言したとき、それが近々実行に移されるであろう事は予想できたし、それに巻き込まれることも容易に推察されるべきであった。

しかし、いくらなんでも、明日行くことはあるまい。


木の根っこを足がかりに、沢筋を登っていく。これは、ウォーキングなのだろうか?いい加減なキーワードで検索された、いい加減な目的地は、ウォーキングと言うにはいささか勾配が急であり、すれ違う人々と挨拶を交わしてしまう点では登山に近かった。

午前5時に起きて友人の指定した駅に集合し、ひたすら電車に揺られ、山々に囲まれた中央本線のとある駅に着いたとき、ここがまだ東京都であることはにわかには信じがたかった。駅に据え付けのSuicaリーダーがあることに驚いたが、リーダーがあるだけで、あの無愛想なゲート式の改札は無かった。

最初の(そして最後の)コンビニで唐揚げとおにぎりの弁当を買う。丁度屋久島の山を登ったときのように。


屋久島、確かに、我々は共に屋久島の山を登ったこともあったが、それは随分前の話だし、第一これはウォーキングではないのか。道は直ぐに険しくなり、人家は無くなり、鈍重な都市の河川である多摩川は、清冽な山の源流の色味を帯びて流れている。

東京は広いなぁ、というのが感想。山の稜線まで「ウォーキング」して、雑木林が開けると、一面に紫陽花が咲いている。街で見るのとは違った、生き生きした、濃い紫陽花だ。なかなか、ウォーキングもいいなと思う。

で、このまま隣の山まで行くんですか?え、もう帰るの?

某月某日

閉じない限りは、

某月某日

更新は続く。