
自分が知らないうちに、誰かにとって、とても良いタイミングで何かを成していることがある。
自分を前に進めてくれた、その人に借りを返すことはできなくても、恩を報いることはできなくても、別の誰かに、自分がなにかをしてあげる。意識的にであれ、無意識にであれ。
数年ぶりに、このページを開いたら、丁度自分が読みたかった言葉が書いてあった。そんな感想を以前もらったことがある。このページも、何かの pay foward になればいい。
ディスカバリーチャンネルをボーッと見ている。
南極のペンギン。
ペンギンは宿営地と餌場の開氷面を往復して生活している。
しかしある日、一匹のペンギンが宿営地と開氷面の真ん中で立ち止まる。そして、仲間から離れてただ一匹、遙か内陸の山脈を目指して歩いて行く。
例え、彼をつかまえて、宿営地に連れ戻したとしても、また山に向かっていくのだという。
海のない内陸部は遙か 5,000km 続き、待っているのは死。彼らが山に向かう理由は、分かっていない。
ヨチヨチ歩いていくその鳥は、最期に何を見るのだろう。
例えば、音楽をやる人は、格好いいなと思う。姿が格好良い。
僕のように、文章を書いたり、写真をいじったりする人間は、そういう姿があんまり決まらない。
楽器を手に熱演するわけでも、マイクを通して観衆に訴えるわけでもない。ベッドに長座りして、ノートPCのキーボードをぱたぱた叩いているだけだ。
ライブ感なんてものも無くて、じっと書き続ける。もっとも、僕自身はスポットライトを当てられたいとか、まったく思っていないから、それはそれで快適なのだけれど。
何かを撮っている時は、ちょっとライブかもしれない。僕はけっこう真剣に撮るので、僕が撮っている姿を見る人は、「ああ、撮っているなぁ」と思うらしい。そいういう忘我が、ライブ感か。