Photo: “IV for survive.” 2019. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.
他にやることも無く、ただ点滴が落ちるのを眺めていた。
起きている時は、点滴を取り替える度に名前と生年月日を言わされる。なんだか、収容所の点呼のような気分。病室は携帯も使えるので、ラベルの薬品名を検索して、重症者にのみ適用する上限量が投与されている事を知った。
今の抗生剤の組み合わせが効けば、状況は良くなる。効かなければ、悪いシナリオを考えなくてはいけない。言ってみれば、現代医学の根幹を成している抗生物質が、自分の命の行方を握っていた。なんともシンプルで分かりやすい。
死ぬ準備なんてできてないし、意味もよく分からない。しかし、そんな事はお構いなしに、死というのは自分の所にやってくるようだ。人の命というのは、案外、実に簡単に終わりになるんだな、と思うと、なんとも可笑しい気分になる。とは言っても、最初からあまり悪い方向には考えていなかった。自分の体の中の力は、まだ残っているという感覚が、揺るがなかったからだ。
「触診の時の痛みの感覚を、自分でよく覚えておいてください。良くなっているか、悪くなっているか。それが、とても大事な指標になるので」
いくらセンサーを付けても、CTで画像診断をしても、やはり自分の感覚というのは大事な事のようだ。
コーラ飲みたい、ガリガリ君が食いたい。やや回復して、最初に頭の中を占めたのはその2つだった。水が飲めるようになったときに、医者にコーラが飲めるかどうか訊いたが、即却下された。コーラを飲んだのは、退院して2日目だ。
僕は、正直誰かを見舞いに行ったことなど、ほとんど無いのだが、いろんな人が見舞いにきてくれた。意外に、嬉しいものだ。抗生剤が効くかどうか、まだ先が見えていない時点で見舞いに来たグループは、意外とシリアスな病棟の空気に動揺し、ドンキの看護婦コスプレセット(男女兼用ハイグレード版)をベッドの下に放置して帰ってしまった。
おかげで、僕は看護師にそれを見つけられる羽目になった。