展示:東京中心

Photo: “Tokyo scenery.”

Photo: “Tokyo scenery.” 2018. Tokyo, Japan, Apple iPhone 6S.

コアタイムの無いフレックス。ルール上、いつ何時に会社に行ったって良いわけだが、平日午前中に会社とは反対方向の電車に乗ると、ちょっとした背徳感を感じる。

六本木ヒルズは、展望台も森美術館も、週末とはうって変わって閑散としている。とりたてて見たい展示があったわけでは無いが、組木で作られた壁面構造の巨大な展示や、木造高層住宅の模型などを面白く見て、それからついでに展望台に行ってみた。


靄に包まれた東京の町並みは、デートだったらいささかガッカリするのだろうが、一人で来ている自分には落ち着いて気分の良いものだった。実際、あまりはしゃいでいる客も居らず、まるで美術館の展示のように、無節操に、重層的に開発された都心の景色が静かに広がっていた。

たまには、この時間に来てみるようにしよう。そう考えてから、未だ実行してはいない。

そして、10年

そして、さらに10年が経った。今、webを見返して10年前にも僕は15分遅刻していた事に驚いたが、今度は40分遅刻していた。あの時と違って、タクシーに乗って店まで行ったのは、年月の流れだ。


別に10年ぶりというわけじゃない、それなりの頻度で会っていたりする。でも10年前と、みんながやっていることは変わっている。一人は、ゲーム業界で仕事をしているし、もう一人はAIを応用して医療業界でベンチャーに加わっている。と書けば、今風の意識の高まりを感じるけれど、違うそうじゃ無い。それぞれの紆余曲折を見ているから、そんな単純な話ではなかなか片付けられない。

さっぱり解決されないインシデントのチケットコメント欄に「I’m serious.」と書いてサポートを脅迫したベンチャー氏の話は、いつだってならず者路線で安定している。


 
「大人は居ないって言ったけどさ」(僕はそんな事を多分、直接には言っておらず、このサイトでそう書いたのだが)
ゲーム業界氏が言う、
「大人は居るよ、やっぱり」
そうかな。
「嫁に、こないだプレゼントをしたんだけど」
ほう、そんな洒落た事を
「上の子が、親父はこんな洒落たものを店舗で買えるわけが無いから、きっとAmazonだって言われて、実際その通りだった」
それは大人だなぁ、女の人は大人になるのかもしれないなぁ。

結局、そんなあやふやな話をして、20年目の会合は終わった。

点滴

Photo: “IV for survive.”

Photo: “IV for survive.” 2019. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

他にやることも無く、ただ点滴が落ちるのを眺めていた。

起きている時は、点滴を取り替える度に名前と生年月日を言わされる。なんだか、収容所の点呼のような気分。病室は携帯も使えるので、ラベルの薬品名を検索して、重症者にのみ適用する上限量が投与されている事を知った。

今の抗生剤の組み合わせが効けば、状況は良くなる。効かなければ、悪いシナリオを考えなくてはいけない。言ってみれば、現代医学の根幹を成している抗生物質が、自分の命の行方を握っていた。なんともシンプルで分かりやすい。


死ぬ準備なんてできてないし、意味もよく分からない。しかし、そんな事はお構いなしに、死というのは自分の所にやってくるようだ。人の命というのは、案外、実に簡単に終わりになるんだな、と思うと、なんとも可笑しい気分になる。とは言っても、最初からあまり悪い方向には考えていなかった。自分の体の中の力は、まだ残っているという感覚が、揺るがなかったからだ。

「触診の時の痛みの感覚を、自分でよく覚えておいてください。良くなっているか、悪くなっているか。それが、とても大事な指標になるので」

いくらセンサーを付けても、CTで画像診断をしても、やはり自分の感覚というのは大事な事のようだ。


コーラ飲みたい、ガリガリ君が食いたい。やや回復して、最初に頭の中を占めたのはその2つだった。水が飲めるようになったときに、医者にコーラが飲めるかどうか訊いたが、即却下された。コーラを飲んだのは、退院して2日目だ。

僕は、正直誰かを見舞いに行ったことなど、ほとんど無いのだが、いろんな人が見舞いにきてくれた。意外に、嬉しいものだ。抗生剤が効くかどうか、まだ先が見えていない時点で見舞いに来たグループは、意外とシリアスな病棟の空気に動揺し、ドンキの看護婦コスプレセット(男女兼用ハイグレード版)をベッドの下に放置して帰ってしまった。

おかげで、僕は看護師にそれを見つけられる羽目になった。