
Photo: “Piano and city view.” 2023. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.
静かに自分に向き合うにしても、もはや中身は空っぽなのかもしれない。
新しいテクノロジーに追いつこうとしても、もはや新しい酒を入れるべき革袋ではないのかもしれない。そういうFAQ的な事は、もう2000年前に書かれていたわけだ。入学式で言われた、新しい酒には新しい革袋を、そんなセンテンスの意味は、中学生自分には分かりはしなかった。今になれば、分かる。人間の歴史の短さを考えれば、数千年ごときで人の本質が変わることもない。ただ、テクノロジーはいきせききって、歴史の終末を見せようとしてくる。
部屋には幾つかの寺社で買ってきた御札があった。まったく関係ないイベントで杯と酒が贈られてきて、どこで手に入れたか分からない小皿も丁度あった。巡り合わせというか、そういうことだから、世界をハックするトーテムのようなものとしてそのアイテムを考えてみなさいという事か。水と、酒と、米と、塩を供えてみる。気分は悪くない。
Spotifyのレコメンドエンジンが、がディジリドゥーの音を奏でる。20年以上前に、先輩がオフィスで演奏していた。そういう事が許されていた、ITの黎明、ではないが草創期だった。先輩の感性とか、世間に対する態度とか、そういうものが、ずっと先を進んでいたことは間違いない。しかし、先を進みすぎれば、それはそれで受け入れられず、繊細な人は壊れてしまう。
もう、自分の中にあることだけを、ただ書いていくことでこの先を過ごすというのはどうなんだろうか。