タイの話を少し

Photo: “Michelin's big prawns.”

Photo: “Michelin’s big prawns.” 2022. Thailand, Apple iPhone XS max.

「なにこれ、凄くうまい。」それが僕たちの感想。

プロンポンの駅チカで、店を探した。見た感じフードコートに毛が生えたようなものだと思ってなめていたし、表に出ていたミシュランという看板が本当だとは思わなかった。しかし、食べてみればここは本気でミシュランの星付きの店だった。前菜でなんとなく頼んだのは、別に目新しくも無さそうなエビのフリット、みたいなものだったが、衣は実に軽く、ソース(ナムチムと言うのだろうか)も美味しく作られていた。


そんなものを、コーラを飲みながら食べた。仏教のイベントで酒が出せない日、というのがタイにはあるわけで、まさに今日がそのタイミングだったが、そんなことは意識なく、飲まないだけの話だった。

埋め草

Photo: “Home made Bamboo Shoot Rice.” 2022.

Photo: “Home made Bamboo Shoot Rice.” 2022. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

埋め草としての音楽、埋め草としての物語。

そういうものには、価値が有るのだと、最近思う。ずっと気を張って生きるのは無理だし、常に教訓を得続けるのは辛い。というか、もういいや、お腹いっぱいだわという気分になる。教訓も、歴史も、先人の教えも、もう充分だ。意味の無いtweetと、教訓の無い物語を、横目で読んでいたい。

音楽も、レコメンドエンジン任せだ。それで良いと思っている。部屋では、気にならない音楽を、YAMAHAのネットワークレシーバーが流している。プロのミュージシャンは、ホテルのフロアでBGMとして奏でられるピアノにも、つい耳が行くと言っていたな。

胃にもたれない、軽いものだけを聞いて、軽いものだけを読んでいきたい。そういう気分なのだ。

考えたバラバラの事

Photo: “Piano and city view.”

Photo: “Piano and city view.” 2023. Tokyo, Japan, Apple iPhone 14 Pro Max.

静かに自分に向き合うにしても、もはや中身は空っぽなのかもしれない。

新しいテクノロジーに追いつこうとしても、もはや新しい酒を入れるべき革袋ではないのかもしれない。そういうFAQ的な事は、もう2000年前に書かれていたわけだ。入学式で言われた、新しい酒には新しい革袋を、そんなセンテンスの意味は、中学生自分には分かりはしなかった。今になれば、分かる。人間の歴史の短さを考えれば、数千年ごときで人の本質が変わることもない。ただ、テクノロジーはいきせききって、歴史の終末を見せようとしてくる。


部屋には幾つかの寺社で買ってきた御札があった。まったく関係ないイベントで杯と酒が贈られてきて、どこで手に入れたか分からない小皿も丁度あった。巡り合わせというか、そういうことだから、世界をハックするトーテムのようなものとしてそのアイテムを考えてみなさいという事か。水と、酒と、米と、塩を供えてみる。気分は悪くない。


Spotifyのレコメンドエンジンが、がディジリドゥーの音を奏でる。20年以上前に、先輩がオフィスで演奏していた。そういう事が許されていた、ITの黎明、ではないが草創期だった。先輩の感性とか、世間に対する態度とか、そういうものが、ずっと先を進んでいたことは間違いない。しかし、先を進みすぎれば、それはそれで受け入れられず、繊細な人は壊れてしまう。

もう、自分の中にあることだけを、ただ書いていくことでこの先を過ごすというのはどうなんだろうか。