白ゴス

Photo: 春景2 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

Photo: "春景2" 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

土手の上で、花は一斉に咲いていた。草木が春を纏っていた。

この瞬間のために、誰かが装わせたかのようだった。


現像が上がってきた翌日、僕はそのうちの何枚かを印刷し、クリアファイルに入れて出かけた。ちょっと試してみたかったのだ。

その人に、三枚並べて見せて、全く何の迷いもなく選ばれたのは「This one!」この写真だった。日本的憂い、と僕が勝手に思っている写真(下の方に載せてある写真だ)はダメだった。一押しだったのだが。


なるほど、見た目は日本人として動いていても、英語が基本思考言語になっている人の感性は、どっちかと言えば、より explicit な表現を好むと言うことだろうか。谷崎潤一郎の陰翳礼賛も形なしといったところだろうか。人の感性が膨大な文化的文脈の中で形成され、受け継がれていくと して、桜の綺麗さというのはどこまで普遍的なものなのだろうか、、。

「なんていうか、私の着てる服とかもこんな感じのがあったでしょ」(と、英語で言っている)

ああ、あの白ゴスみたいなやつですか。なるほど、ごもっとも。

春景

Photo: 春景1 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

Photo: "春景1" 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

早朝の堀端は、カメラを手にした人々でごった返していた。にもかかわらず、朝の冷たい空気と、ひときわ静かな桜の花のせいで、騒々しい気配は無かった。全てが、静かで澄み切っていた。


誰もが同じものを撮っている。誰もが美しい桜の姿を創造しようと、撮っている。奇妙な熱気の中で、人々はファインダーをのぞき込み、桜と自分だけの会話をしようとする。沢山の人が居るのに、誰もお互いを見ては居ない。ただ、桜に魅入られるようにシャッターを切っている。

僕も同じ事だ。浅ましいな、と少し思う。


結局、東京で桜が咲いて空が晴れたのは、この日のこの一時だけだった。上がってきたフィルムに写った桜の景色は、今までとは少し違っていて、それは、いつもとは違うレンズを使ったからというだけでは、無いように思えた。

タコス屋の看板に当たる

Photo: ナチョス 2008. Tokyo, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

Photo: "ナチョス" 2008. Tokyo, Ricoh GR DIGITAL, GR LENS F2.4/28.

ゴスッ。

という音がして、目の前が暗くなった、真昼の大手町。

ビル風に煽られて落下したタコス屋の看板が、僕の顔面を直撃したのだった(しかも角)。


タコス売りの車に、OL が並んでいたので、これはまあ少なくとも不味くはない(そして腹もこわさないだろう)と思って、並んでみたらこれか。まあ、女子の顔面に看板が当たるよりは良かったかもね、、。

タコス屋の看板に当たったことは無かったので僕はかなり動揺していたが、店員はもっと動揺していて、チーズと挽肉が沢山乗ったナチョスをもらったよ。

大手町ファーストスクウェアの広場には、植え込みの中に、なんとなく腰掛けられる段差があって、そこに落ち着いて、タコライス(沖縄料理だが)、ツナのタコス(本場には無さそうだが)、もらったナチョス(Tex-Mex だが)をモソモソ食べる。全部、ビックリするほど淡泊な味付けで、それはそれでお昼には良い。謎の辛そうなソースが入った小さい容器が同梱されていたの で、それを使うともうちょっと味が変わるのかも知れない(全部食べてから気がついた)

カラダを張って入手したナチョスは、結構ちゃんとしていて、挽肉・ワカモレ・サワークリーム・チーズがかかっている。これを、適宜混ぜ合わせて、揚げたトルティージャで掬って食べる。お昼と言うよりは、おつまみ。


ナチョスのチーズをナプキンで口をぬぐっていたら、トマトソースが付いた。いや、これは血ですね。