Sony α900

Photo:α900

Photo:α900

2008年末の時点で、民生用一眼レフデジカメとしては世界最高の 2460万画素フルサイズセンサを搭載した、αデジカメのフラグシップ。純正の組み合わせで、35mm フルサイズセンサと Zeiss レンズを使いたかったら、このボディが現状唯一の選択肢となる。

僕自身は、銀塩で撮ることは続けたいけれど、カラーリバーサルの撮影コストの高騰や、新しい機材が殆ど発売されない状況を考えると、デジタル一眼の 導入を考えざるおえなかった。そして、絶対 Planar 85mm で撮りたいので、ボディーの選択肢は α900 しかなかった。


α7 の流れを組む本機は、Cyber-shot ではなくて、ミノルタ α の系譜となる。ミノルタの α に、ソニーの CMOS センサを組み合わせた、一言で言うとそういう出自のカメラだ。持った質感は、定価ベースで倍額となる Nikon D3 には流石にかなわないが、センサ側での手ぶれ補正、デジカメ用にデザインされたインターフェイス類は、今日的な性能をもっていて使い易い。銀塩の質感を持 ちながらも、それにあまり束縛されていない点に、好感が持てる。

このカメラを使っていて感じるのは、カタログスペックに拘らない割り切りの良さ。例えば、このデジタル一眼レフには、驚くべき事にライブビューが搭 載されて「いない」。つまり、撮影時は基本的にファインダーを使うしかない。この割り切りは凄いが、それによって光学的な性能が出しやすくなり、低価格 化・軽量化に貢献しているのだから、それはそれで良い。ファインダーが良ければ良い、そういう設計だ。だから、ソニーの α、というある種軟派イメージなラインの機種でありながら、このフラグシップは結構、硬派なのだ。

「素晴らしい」と言われるファインダーは、確かに明るく、しかもデジタルだけに視野率 100%がとても役に立つ。その明るさは、レンジファインダーである zeissikon にも匹敵する。アイポイントは少し低めなので、きっちり接眼して撮影する必要がある、個人的にはもう少し高いアイポイントの方が良いが、十分満足できる。


ボディは APS サイズセンサの一眼を使い慣れた人には大きいが、銀塩一眼と比較するとほぼ同じ。その中に、フルサイズセンサや手ぶれ補正を組み込んだのは、たいしたもの だ。操作体系は直観的で、動作が速く、メニュー階層も浅い。マニュアル無しで一通りの操作が可能。デジカメ的にどうしても必要になってしまうボタン類 (ISO, ホワイトバランス)は、きちんと1機能1ボタンで用意されているのは好印象。ドライブモード、露出補正のボタンも、右グリップ上にまとめられている。その 結果、グリップ構造やボタン配置のテイストは、一眼レフというよりも、カムコーダに近くなっている。ボタン操作をしながら絵を作っていくデジカメの操作形 態を考えると、これはこれで良い。旧来の一眼レフの配置との互換性を重視した、他のメーカーの配置よりも、デジタルという観点では、このアプローチは正し いように感じる。新しい撮影方法には、新しいインターフェイスが必要だ。データ保存で言うと、圧縮 RAW が使用できるのは便利で、通常は圧縮 RAW のみで記録している。圧縮と言ってもデータは可逆方式であり、メーカーの Web 上の説明によれば、通常の RAW との再現性等の違いはないという。RAW 現像ソフトウェアとの互換性も問題ないようだ。どうしても撮影枚数が多くなってしまうデジカメで、データ量が 7割程度になるのは助かる。


最後に、気になる点。まずシャッター音とミラーショックについて。この二つについては、あまり褒められたものではなく、この価格帯のカメラとしては 物足りないと感じる。バタッというようなシャッター音は、その音に何かの愛着を抱くという類のものではなく、質感は低い。操作ダイヤルは軽めの印象で、慣 れるまでは、意図せず露出補正や絞り変更がかかってしまう場合があった。また Nikon のダイアルのような「押し込む」というアクションは無い。バッテリの持続性は、寒冷地でも満足のいくものだが、それでも使い方次第では 1日持たないので、予備のバッテリは欠かせない。カメラの向きを検出するセンサについて言うと、カメラの設定を見ようとレンズを地面方向に向けた場合に、 縦位置と誤検出する場合があり、少々不便を感じる。また、CF スロットと、MS スロットが一つずつ装備されているが、これは CF x2の方が嬉しい。もはや SONY だから MS で仕方ない、とは思えない。

現状、Zeiss を 35mm のフルサイズで使いたければ、この機種以外の選択肢は無い。それだけで、欲しい人は買う価値があるが、操作性や画質の点で、かなり優れた製品だと感じる。 現時点で、3,000枚ほど撮っているが、誤動作などもなく、安心して使うことができるカメラだと感じる。銀塩の叙情はもちろん無いが、デジタルカメラら しいフルサイズとして、総合的には文句のないカメラだと思う。

このサイトには、α900とPlanar T* 85mm/F1.4(ZA)の作例も色々載せているので、併せてご覧いただければと思う。

僕をひっぱたいた女

僕をひっぱたいた女は、ママになっていた。とあるパーティーに、彼女は息子を連れてやって来た。

久しぶりの仲間と会って、ママはおしゃべりに、どこかに行ってしまった。息子は、まったくそういう事に慣れていない僕の両腕に預けられることになった。

それでも、全く落ち着き払った息子は、動じる気配を見せない。パーティー会場のシャンデリアを見上げながら、ヒカリモノ好きのメンズ 0才は目を輝かせていた。なるほど、でかいシャンデリアの下に移動すると、更に目が輝くわけだな。


後から聞いたら、彼女は皆に「あれは旦那?」と訊かれて、めんどくさくなったから、「旦那みたいなもの」と説明したそうだ。

めんどくさがりすぎだ。

注:「私のイメージで」と同じ人です。

それはウォーキングではない

Photo: 山間の紫陽花 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: “山間の紫陽花” 2009. Tokyo, Japan, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

俺は、ウォーキングを趣味にすることにした。

友人が、そう高らかに宣言したとき、それが近々実行に移されるであろう事は予想できたし、それに巻き込まれることも容易に推察されるべきであった。

しかし、いくらなんでも、明日行くことはあるまい。


木の根っこを足がかりに、沢筋を登っていく。これは、ウォーキングなのだろうか?いい加減なキーワードで検索された、いい加減な目的地は、ウォーキングと言うにはいささか勾配が急であり、すれ違う人々と挨拶を交わしてしまう点では登山に近かった。

午前5時に起きて友人の指定した駅に集合し、ひたすら電車に揺られ、山々に囲まれた中央本線のとある駅に着いたとき、ここがまだ東京都であることはにわかには信じがたかった。駅に据え付けのSuicaリーダーがあることに驚いたが、リーダーがあるだけで、あの無愛想なゲート式の改札は無かった。

最初の(そして最後の)コンビニで唐揚げとおにぎりの弁当を買う。丁度屋久島の山を登ったときのように。


屋久島、確かに、我々は共に屋久島の山を登ったこともあったが、それは随分前の話だし、第一これはウォーキングではないのか。道は直ぐに険しくなり、人家は無くなり、鈍重な都市の河川である多摩川は、清冽な山の源流の色味を帯びて流れている。

東京は広いなぁ、というのが感想。山の稜線まで「ウォーキング」して、雑木林が開けると、一面に紫陽花が咲いている。街で見るのとは違った、生き生きした、濃い紫陽花だ。なかなか、ウォーキングもいいなと思う。

で、このまま隣の山まで行くんですか?え、もう帰るの?