文章が書けない日々というのがあって

Photo: 堤防 2008. Tokyo, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

Photo: "堤防" 2008. Tokyo, Japan, Zeiss Ikon, Carl Zeiss Biogon T* 2.8/28(ZM), Kodak 400TX.

羊ページはずいぶん長く書いているが、それでも書いていない月というのも幾つかある。
文章が思うようにかけなかった日々があって、練習で日記みたいなのを書いていた。


連休の最後の日、いつものように7時過ぎに起きて、ゴミを出す。

今日は天気が良さそうで、気分が良いのでちゃんと洗濯をする。そうして、昨日何の気無しに初めて買ってみたなばなという葉物の野菜を使って、豚肉と炒め物をつくる。生ハムの切り落としも買っておいたけれど、パンという気分では無かった。中華風に鶏ガラスープの素を入れて、塩胡椒で炒める。油菜のようなちょっとしたクセがある菜と、その味付けはよく合って、美味しい。


掃除機をすっかりかけて、窓を開け放して、太陽が差し込むのを感じながら、ゆっくり文章を書く。とても良い気分だ。まだ春には遠いけれど、それでも、太陽の光に力が戻ってきているのが分かる。僕は、やはり暖かい方が好きだ。

騒々しいサイレンが大通りを通っていく。直ぐ向こうに海が開けているから、この街は前の街とは、なんとなく空気が違う。そういうことにも、僕はなかなか気がつくことができなかった。人は見ようと思わなければ、何も見ることはできない。感じようと思わなければ、何も感じることはできない。

滑るように文字が打ち込まれ、そうして形になっていくことに、僕は満足感を覚えた。今日は、どこかに無理にでかける必要もないだろう。

マラッカでネコがニャンと出る。

Photo: kitty 2010. Malacca, Malaysia, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: "kitty" 2010. Malacca, Malaysia, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

セントポール教会跡、マラッカ海峡に臨む西側の外壁。物売りのおばさんが路面に店を広げている。

首輪のない、数匹のネコが彼女の周りで群れて遊んでいる。おばさんの方にカメラを向けると、岩陰からネコがニャンと顔を出す。マラッカのネコは足が長くて、とてもすらりとしている。


家族なのだろうか、母親のような一匹が先導して、三匹を水のお椀が置いてある木陰に連れて行く。ここはとても暑い。

日本人の英語についてマレーシアで考えた

Photo: public phone 2010. Kuala Lumpur(KL), Malaysia, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

Photo: "pay phone in the street" 2010. Kuala Lumpur(KL), Malaysia, Sony α900, Carl Zeiss Planar T* 85mm/F1.4(ZA)

マレーシアへは仕事で行った関係で、沢山の種類の訛りのアジア英語と接することになった。アジアパシフィックの様々な国から人が来ていて、英語というのはこんなに幅があるのか、ということに驚いたし、僕からしたら「めちゃくちゃだな」と思うような壮絶な訛りの英語が、ちゃんと(かは分からないが)通じたりしているのを見るのも驚きだった。


一人のエンジニアと仲良くなった。彼は沢山プレゼンテーションしていて、彼の英語を延べで12時間ぐらいは聞いたと思う。彼はベトナム人か、インドネシア人に見えた。でも英語の訛りはアジア圏ではなくて、訊いてみるとフランスからアメリカに移住したのだと言う。だから、ベトナム系フランス人で今はアメリカ人(二重国籍)だと思う。

ワインが好きで、女の子の機嫌に敏感で、この人の文化はフランスの男なんだなと感心した。ビールを飲みながら(イスラム圏ではビールかワインより強い酒にはあまりお目にかからなかった)世界中を旅している彼に、日本人の英語はどうなのか?と訊いてみた。


曰く。日本人の英語には特有のアクセントがある。でも、日本人は自分が言ったことが通じなかったら、言い換えて、通じさせようと努力する。だから、君たちの英語は OK だ。君たちにとって英語は母語じゃない、だから上手くないのは当然で、それは問題じゃない。大事なのは、伝えようとすること、コミュニケーションをとろうとすることだ。

例えば、インド人の英語は聞き取りにくい。口の中だけで発音するからなおさらだ。それ以上に問題なのは、こちらが聞き取れなかった時に、全く同じフレーズを繰り返して、言い換えようとしない事にある。コミュニケーションしようとする意志を放棄しているんだ。


ホントにインド人が言い直しをしないか、翌日僕はインド人の英語を注意して聞いていた。が、実際には割と言い直しはしていた。まあ、それでも十分聞き取りにくく、中国系の同じく聞き取りにくい英語を米語のネイティブは一発で聞き取るのに対して、インド人の英語は聞き返しが入っていたのは印象的だった。

更に印象的だったのは、インド人と一緒に昼メシを食べているとインド人同士が英語でしゃべっている。君らなんでインド人同士で英語でしゃべるの?と訊いたら片方の人はヒンズー語がしゃべれないから、次に来る共通語が英語なのだそうだ。これがデフォルト多言語の国の姿か、と思う。


アジア、とは言ってもビジネスは全部英語だった。英語はやはり、ビジネスの世界の共通プロトコルであって、しかもかなりパケットがめちゃくちゃでもデータ交換出来てしまうものなんだな。そんな印象。