厨房の中で、おやじが椀を手にとった。
おたまを手に、まさに吸い物の出汁がその椀に張られようとした瞬間、おやじの厳しい視線が、椀の中で止まった。
「だっ!」
なにやら、非常にご立腹のようだ。きっと職人の目に、許せないものがあったのだろう。ネギの角度が悪かったとか、、。
「しょうがねぇーな、ったく、だっ!」
哀れにも、その椀は脇にのけれられ、僕の昼飯のお吸い物は、別の椀にもられることになった。
新宿の都庁から、オペラシティーの方角に、20分ばかり歩いた所にある割烹の店。一見すると目立たない店だが、昼時には近所の会社員が行列をつくる。
味は確かで、この前の昼飯にでていた飛び魚のたたきなどは、絶品だった。飛び魚は上品な味のする魚ではないが、その油っこさが、いかにも夏の味といった風に仕上げられていて、文句の付けようが無かった。
しかし、困ったこと、というか最初はびっくりしてしまうことが、この店にはある。この店の確かな味をつくっている本人、店のおやじだ。この店のおやじは、いつも怒っている。そして、絶えず怒鳴っているのだ。
店主は、「板前」という単語のサンプルのような人物。通常は寡黙に、ねぎを刻んだり、魚をおろしたりしている。しかし、2分に一回は、おかみさんを 怒鳴るのだ。おかみさんはなれたもので、「はいはい」といった風情で流している。お客も、勝手を知っているので、驚きもしない。まあ、そういう店なのだ。
そして今日、おやじはついに椀に怒っていた。
どんなにうまい店でも、おやじが恐かったり、怒っていたりすると、「勘弁して欲しい」ものだ。しかし、この彦膳はおやじの怒り具合と、その旨さを天秤にかけた場合、明らかに味の方が勝っている。
そういうわけで、今日の昼飯もその店にしようと思う。
ちなみに、ランチは(割烹にランチもないと思うが)1,000円。確実に食べたければ、12時15分前には、のれんをくぐりたいところだ。もちろん、夜も美味しい、らしい(行ったことない)。