「xxが」表現

羊ページ管理者は、他人の日本語の使いかたに関して、寛容であろうと思っている。僕にとって「ら」抜き言葉は全然不愉快じゃないし、例え街中で日本語のラップが流れていても、聞こえないふりをするぐらいの分別はある。でも、一つだけ許せない日本語がある。最近よく見かける、こんな感じのやつだ。

  • 会社からの帰り、新しいCDが売っていたので、早速買って帰った。
  • スーパーに行ったら、大安売りでアンコウ鍋セットが売っていたので、今夜は鍋にすることにした。
  • 新しいi-modeの端末が15,000円で売っていたが、やっぱ今持ってるのでいいや、使わないし、と思った。

上に挙げた三つの例文を見て、違和感を感じないだろうか。この「xxが売っていた」という表現は、なんなのだ。

実は、この「が売っていた」という表現は、現在の日本語文法を揺るがすくらいの、インパクトを秘めている。従来の流行り言葉、というのは、なにかの 形容詞を言い換えたり(例:「凄く」->「ちょー」)、名詞を恥ずかしく短縮したり(例:「スーパーコンピュータ」->「スパコン」)、未知 の感覚を表現したり(例:「まったりとした」)、言ってみれば単なる「置換」に過ぎなかった。ところが、「が売っていた」という表現は、文法レベルで日本 語に変更を加えている。

例えば、「携帯が売っていた」という文脈では、普通に考えれば「が」は能動態として使われる。つまり、「携帯電話が自分で何かを売っていた」という 意味になる。しかし、これでは意味が通じない。「携帯電話が何者かの手によって売られていた」というのが、本当の意味だからだ。この場合、「が」は明らか に受動態として使われている。だから、聞いていて物凄く変なのだ。そこには、明らかな言語的センスの欠落が感じられる。

どういう経緯でこういう表現が出てきたのか、僕にはよく分からない。(どっかの方言が転化したものなのかもしれない)この表現の姉妹編として「テレ ビでxxの番組がやってた」などというものもあり、年齢や学歴に関係なく、様々な人がこの「xxが」表現を使っている。実際、かなり広く浸透した表現のよ うである。あるいは、日本語文法の活用変化が、よりおおざっぱなものに変化してゆく前兆なのかもしれない。もっと大きな目で見れば、そんな風に思えてきた りもする。

いずれにせよ、個人的にはこんな変な日本語はやめて欲しいのだが、、。

注1:もちろん、言葉は皆が使ってなんぼ、なんだけど。
注2:「?が売っていた」という表現は、「ら」抜きを進化させた、ある種の「れらる」抜き表現ではないか、というご指摘をいただいた。つまり、「携帯が売られていた」→「携帯が売(られ)ていた」→「携帯が売っていた」なるほど。そうかもしれない。

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