戦争の記憶

今年も、敗戦記念日が近くなった。

実に、これは「敗戦」なのであって、もしも勝っていたとすれば、この戦争への評価は、また異なっていたに違いない。一見、反戦平和は人類共通の価値 観、のように言われるけれど、そんなに単純なものではあるまい。もし、あの時勝っていたら、今と同じ評価を日本人は下し得ただろうか?


「街は平和への祈りに包まれていました」

毎度お馴染みのセンテンス。まあ、こう結んでおけば苦情の電話もかかってこまい。

この季節にニュースの原稿を書く人間の思考は、多分、そんな風に動くのだろう。つまり、彼らにとって、そんなものはどうだっていいのだ。


「戦争の記憶なんて、忘れてしまえばよい」

その通りだ。

あるいは、こんな風にも言える。人それぞれに、同じ質量の人生がある。戦争の人生を伝えなければいけないのなら、他の人生だって伝えなければおかしい。

やんばる共同農場

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film
Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

沖縄本島北部、大湿帯(おおしったい)。やんばる共同農場。

裏山から水を引いた水道、手製の浄化槽。藍を育てて、手作業で染色。電気はきているし、電話も、車もある。けれど、夜は真っ暗。こんな山奥で、そんな生活をしようというのは、やはり変わり者なのだと思う。

僕たちがお世話になった家族は、この場所に数年前から住んでいる。少し年輩の両親と、その一人娘4歳。そして、飼い犬のポコ。めったに部外者の立ち入らない山奥で、ポコは天真爛漫に育っている。地面に何かを見つけたようで、なにやら遊んでいる。楽しそうだ。

(好き嫌いは別にして)作者は、子供と動物に強い。その強みを利用した、一枚。

伊江島

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film
Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

伊江島と沖縄本島を結ぶフェリーから望む、夜明け。潮風が今日も強い。

伊江島は、菊と落花生を主な産業とする小さな島。幾つかの民宿とリゾートホテル、真っ白な砂浜、菊畑。そして、米軍基地がある島。ここの砂浜の美しさ、そして夜空の澄んだ暗さ。それは、僕が今まで目にしたことのないものだった。

撮影にはモノクロフィルムを使用。カラーでは写せない光を、捉えられる気がする。