「風の歌を聴け」を再読する

Photo: "A lighthouse"

Photo: “A lighthouse” 2000. Shimanto, Japan, Nikon F100, AF Nikkor 35-105mm F3.5-4.5D, Fuji-Film

村上春樹のデビュー作、「風の歌を聴け」
を、久しぶりに読む。Kindleで、初めて読む。
(前にセールだった時に買っておいたのだ)


驚いたことに、僕は内容をまったく覚えていなかったし、特に後日談は綺麗サッパリ忘れていた。ただ、かつての自分とは、また、全く異なる感じ方をしていることは確かに分かった。

どこが面白いのか、よくわからない凄さ。そしてまた、書き手が若いな、と思ったこともショックだった。文章も年を取るのだ。


自分が思っていたよりも、文章は緻密じゃ無いし、内容もみっしりしていない。全部は書ききれていないが、書かれていない部分の飛躍がやはり凄い。さっぱり分からなくても、これを初めて読んだ時の自分は、やはりその面白さとか凄さを受け取っていたのだろう。

今の自分が感じる事に立脚しろ、と言っていた先生はもう亡くなってしまった。それは今の流行の言葉で言えば、マインドフルネスなのかもしれない。


そういえば、なんとも意識が高くて胡散臭いマインドフルネスだけれど、いろいろ自分にはしっくりくる部分を感じている。今のことだけを見ろ、というのはディー・レディー「あたしの一生」にとっくに書いてあった事なのであって、別に僕にとって目新しいことでは無い。

けれど西欧の知識としての体系化、汎用化、みたいなものの力を見る思いがするし、瞑想アプリはいま一番気に入って使っているものでもあるのだ。

バターを食う

Photo:"Munich"

Photo:”Munich” 1995. Germany, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38

ちょっとしたパーティーで、食うともなしに、パンに添えられたバターを食っていると、

「バター食うの美味いですよね」

と、向かいの席から声をかけられた。


バターについて、そういう視点で言われるのは、初めてだった。彼女の旦那はドイツ人、そういえば、ドイツに旅行したときにマッシュポテトのバターの量に驚いた。レストランで鮭の付け合わせに出された、黄色味を帯びた馬鈴薯のペーストは、バターの油分で信じられないほど柔らかかった。実際、バターを食うのは美味いし、ドイツ文化はバターの味わいというものをきっとよく理解しているのだろう。


彼女のバックグラウンドはITではなくて、だいたい音楽業界だ。もとは、クラブミュージックにはまって、それからGracenoteとか、その手の業界に居たらしい。時期的には、僕がCodecの違う沢山の「圧縮音楽」プレイヤーをじゃらじゃら持ってきているエンジニア(元音楽評論家)に、会社の休憩所で唖然としていた頃の事だろう。mp3が一気に普及して、様々なプレーヤーとメディアが一気に市場に出たのは、1998年頃だろうか。それから20年でCodecも、すっかり淘汰が進んでしまった。今の僕は、YouTubeのCodecが何かも知らない。(H264かな?)

そんな事があってから、やや自信を持って、バターを食えるようになった。コロナ収まったら、ドレスデンの軍事博物館を訪れてみたい。実家に、招待されているのだ。

入店を阻む灰色の影

Photo: “Cat gatekeeper.”

Photo: “Cat gatekeeper.” 2019. Kanagawa, Japan, Apple iPhone XS max.

「オフサイトミーティング」という呼称は、たぶん外資共通の言い方なんだと思うが、社員慰安旅行から慰安をマイナスして、ワークショップをプラスしたようなものだと思えば、だいたい合っている。そういう文化が、そもそも本社の米国であり得るのか、ちょっと分からない。

で、それ自体に特筆すべき点は無いので(露天風呂は大変に結構だった)、帰り道。

スカスカの時刻表によれば、帰りのバスはまだまだ来ないようだ。泊まった場所は結構な山間にあって、行きに乗ったバスの時間を考えると、歩いて降りたら小一時間はかかる感じ。それでも、朝方周りを歩いたら相当気分が良かったので、帰り道はバスには乗らないで、歩いて降りることにした。天気も良かったし、ドラクエウォークで徒歩の距離についての概念がだいぶ変わっているからだ。


歩いて帰ることに決めてしまうと、ちっとも来ないローカルバスを待つイライラが馬鹿らしく感じられる。歩き始めると、空気の良さも、空に向かって伸びる両側の山並みも、急にリアルに感じられて、つい2ヶ月前に死にかけたのが嘘のようだ。

午後もだいぶ過ぎていて、西に傾きはじめた日差しは、歩いていると少し暑さを感じる。緩い下り坂が続いている。道の両側には、旅館や、企業の保養所が並んでいる。しかし、今は人の姿はほとんど無く、オフシーズンで静かだ。紅葉には早く、避暑には遅い。9月はこの温泉街にとって、そういう中途半端な季節なのだ。


道の両側が、保養所から、だんだん山間の街になってきて、小さな商店が出てくる。客が少しだけ居る、昔ながらの煎餅屋。ちょっとお土産を買うのも良いかもしれない、という気分がよぎる。別に、山で煎餅を買う必要は無いのだけれど。

僕は歩いていると、なにかとちょっと違うモノにめざとく気がつく。けれど、これは流石に誰でも気がつく。スーパーと個人商店の間、みたいな店。品揃えから見るに八百屋だろうか。自動ドアは開いている、そして、そこには入店を阻む店番が居るね。ニャンとも堂々として、お休み中。売り上げに深刻な影響を与えないと、良いのだが。