ムトゥ、踊るマハラジャ

「ムトゥ、踊るマハラジャ」、めちゃくちゃ面白い。


筋はあきれ果てる程、単純明快。恐らく、字幕が無くても理解可能だ。(ちなみに、インド映画に台本はないらしい)その筋をもり立てる、脂ぎったヒーロー、ムトゥのタオルアクションと、ヒロイン、ランガナーヤキの腰フリダンス。これでは放送禁止限界だ。

随所に挿入される脳をとろけさせるタミル・テクノにあわせた、チームダンス。アヒルや、鶏を、リズムに合わせてカットに挿入する(というか、リズムに合わせてフレームの外から、スタッフがアヒルを投げ込んでいるのではないかと思う)、見たこともない手法。

そして、「全編を通していったい何万人出演しているんだ?」と思わずにはいられない、膨大な数のエキストラ。まさに、インドの資源を余すところ無く活用している。


ついでに言えば、まともに撮ろうとした部分の映像(とても少ないが)のクオリティーはとても高く、欧米の映画にひけはとらない。特に、ムトゥ出生の秘密が明かされるあたりでは、一級の歴史映画ではないかと思わせる緊迫したカットが展開される。

娯楽の一線をかたくなに守った映画だが、随所にセンスの良さが光っている、、無駄だが。


これは是非、映画館で見なければならない。

坂本龍一:1996

Photo: 1995. Rome, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Agfa

Photo: 1995. Rome, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Agfa

ローマの景色というのは、それは印象深いもので、僕が泊まった安宿の窓からも、いかにも「ダンテ的」な石造りの景色を望むことが出来た。そこは、文化という意味では、世界屈指の密度を持つ土地である。

僕は旅行に行くときには、必ず、ウォークマン(今は、mp3プレーヤーに変わったが)を持っていくことにしている。そして、このローマの景色に一歩も引けを取らず響き渡ったのが、この1996だった。


アルバムは、ピアノ・バイオリン・チェロのトリオ編成による、ベスト。坂本龍一の、言ってみれば「無国籍」な音楽は、ともすればオペラの響きに圧倒されそうなこの街でも、きちんと耳と心に響いた。いや、むしろ、日本で聴くよりもしっかりと、聞こえてきた。

世界で通用するもの、というのは、とても難しい。ある種の前提無しで、あるがままの力で勝負しなければならない。このアルバム、日本だけの尺度で聴くには、強すぎる音楽かもしれない。


さて、収録曲について少し。1919は、緊張感に満ちていて、考え事をしながら聴くと、頭の速度が10%アップする感じ。戦場のメリークリスマスは、メインテーマ部分のリズムが絶妙なベスト・テイク。

注1:ダンテが生まれたのはローマじゃなくてフィレンツェだろ、というのは正しい指摘。

感想:スプートニクの恋人

村上春樹の新作「スプートニクの恋人」は、いままで彼の小説を読みつづけてきた人にとっては、なんとなく懐かしい感じの作品だ。

そこには、おなじみの「ぼく」がいて、プールで泳ぎ、料理を作る。ささやかなプライドを持って仕事をして、たまに女の娘と寝る。そして「ぼく」は、初めからいろんなものが失われることが決まった世界に、投げ出されている。

(そういえば、この小説では一人称が「僕」ではなく「ぼく」という表記になっている。)


村上の小説は、凄く乱暴ないい方をすれば、みんな同じだ。毎回、同じテーマを突き詰め、その度にどんどん磨いていくような感じだと思う。そうやって出来上がってきたものを読むのは、とても楽しい。

村上の最近の作品には、僕に理解力が欠乏しているせいか、複雑すぎてよく理解できないものが多かった。しかし、この「スプートニクの恋人」はとてもシンプルに、いつものテーマといつもの世界を描き出している。だから、この小説は理屈抜きで面白かった。


いつものテーマと、いつもの世界。

ある人間がきちんと書くことのできる範囲というものは、とても狭いのではないか。最近、そんな風に感じる。それは決して悪いことではなく、むしろ、好ましいことのように思う。

例えば、もし誰かに「あなたの書く文章はみんな同じだ」といわれたら、僕は喜しく思う。本気で書いた文章には、紛れもなく僕自身の中の何かが表現されている。僕は、形のつかめない自分の存在を、少しでも留めておくために、文章を書いてきた。

そこから読み手が受け取るものが同じだとしたら、僕は文章によって、自分自身の位置を定めることができていることになる。あるいは、文章によって自分の位置を定めることができるかもしれない、というあやふやな期待と確信を、少しだけ強く持つことができる。


僕は「スプートニクの恋人」の中に出てくる、古井戸や、電話ボックスや、ロードスの島々の話を読みながら、そんなことを考えていた。

もう一度言うと、「スプートニクの恋人」はシンプルで、懐かしい、小説だ。そして、村上春樹が彼の小説の中で、常に立ち続けてきた位置を、いままでよりも少しだけ鮮明に見せてくれる作品だと思う。

読む人によっては、「また、同じか」と思う人もいるかもしれない。しかし、僕はこの小説の中心に、いままで彼が描き続けてきた物の一番大切な部分を、一瞬だけハッキリと見た気がした。

– 追記 –

ちなみに、この小説の後半ではギリシャの小さな島が舞台になっている。村上春樹の旅行記、「遠い太鼓」を事前に読んでおくと、ギリシャの島々の光景がより鮮明に伝わってきて面白いと思う。