くいだおれ人形

Photo: くいだおれ人形 2002. Osaka, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Fujifilm RDP III

Photo: "くいだおれ人形" 2002. Osaka, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Fujifilm RDP III

「くいだおれ」というのは、もちろん、「食いすぎて倒れこむ」ことではないが、大阪の街を見る限り、食いすぎで倒れているような人間しか見ない。だいたい、たこ焼きでどうやって本来の意味の「くいだおれる」ことができるのか。

間違いなく、その前に粉で死ぬ。


夜の道頓堀。雰囲気としては、少しだけ浅草あたりに近いような気がする。(気がするだけかもしれない)

東京の浅草が観光客だらけなのと同じように、道頓堀も観光客だらけだ。

浅草には浅草寺と仲店があるけれど、道頓堀にはでかいグリコと、食い倒れ人形しかない。いきおい、観光客もピンポイントに押し寄せがちになる。

アジア方面からの観光客(大阪にいったい何を見に来るのだ?USJか?)、東京からの出張会社員、ひまなおばちゃん、どっかの学生、というような人々がくいだおれ人形に押し寄せ、写真を撮り、そして去っていく。

僕はこの人形の実物をはじめてみたのだが、夜のネオンに佇むくいだおれ太郎(彼の本当の名前だ)は、少しアンニュイな表情を浮かべていた。よく見れば、ヤツは意外と笑っていない。


ところで、くいだおれ太郎は、別に街の史跡とかそういうのではなく、「大阪名物くいだおれ」という、でかいファミレスみたいな食べ物屋のマスコットらしい。(知らなかった)いったいそこでは何が食えるのか、それは次回。(つづく)


注:くい‐だおれ【食い倒れ】クヒダフレ 1. 飲み食いにぜいたくをして貧乏になること。「京の着倒れ、大阪の―」2. 仕事をしないで遊びくらすこと。また、その人。くいつぶし。[株式会社岩波書店 広辞苑第五版]
注:羊ページ管理者は、大阪の美味しいお店とか、そういうものは知らないし知る気にもならないので、興味のある人は、くいだおれ大阪どっとこむ!でも見てください。

琉球

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

Photo: 1995. Okinawa, CONTAX T2 Carl Zeiss T* Sonnar 2.8/38, Fuji-Film

台湾の中正駐機場。僕らが乗るEG292の行先表示は「琉球」だった。

こういうのって、どうなんだろう?何かの意図があって、「琉球」と書いているのか。あるいは、これがごく普通の呼び方なのだろうか。


アジアの歴史(それは太平洋戦争よりもっと前からの話)は、とても複雑で、こんなふうにしれっと書かれている「琉球」という呼び方にも、もしかしたら、誰かの思いがあるのかもしれないと思った。(何もないのかもしれないが)

食糧ビル

Photo: 食糧ビル 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa,

Photo: "食糧ビル" 2000. Sagacho, Japan, Nikon F100, 35-105mm F3.5-4.5D, Agfa,

保険の代理店をやっているというじいさんは、知り合ったばかりの僕たちをビルの一室に案内してくれた。そこが彼の事務所だった。ストーブが燃え、暖かい。部屋はあまり広くはなかったが、中庭からの光が差して明るかった。

従業員一人の保険代理店。机の上の文房具はきちんと整えられ、壁のカレンダーには予定がメモされていた。
「こうやってさあ、働いてるのが一番いいのさ。」

2年前、20世紀最後の冬。「佐賀町エキジッビト・スペース」のクローズイベントを見に行った時、僕ははじめてこの食糧ビルを訪れた。食糧ビルは、 地下鉄半蔵門線水天宮駅から、少し歩いたところにある。そのモダンな建築は、かつて穀物取引のために建てられ、今は、いくつかのアートギャラリーと、いく つかの会社の事務所が入る雑居ビルになっている。そして、だいぶ昔に立てられたこのビルで、だいぶ昔からこのビルで働いてきたそのじいさんと、仲良くなっ た。


今から半世紀ほど前。当時はまだ穀物取引が盛んに行われていた食糧ビルに、一人の若者が就職した。その頃、正米市場があったこの界隈は、とても賑やかだった。一生懸命働いて、あっという間に何十年かが経った。やがて、米の流通は自由化され、若者も定年を迎えた。

いったん会社はやめたけれど、小さな保険の代理店をはじめた。その事務所は、やっぱり彼が長年勤めてきた食糧ビルの一室だった。じいさんの人生は、このビルと一緒に続いてきたのだ。

美しいアーチ状の梁に囲まれた中庭、高い天井、コミカルなベランダ。食糧ビルは、見れば見るほど、興味の尽きない建物だ。じいさんは、一般の人は立ち入る事ができない、ビルのあちこちを案内してくれた。これはあの映画の撮影で使った部屋、これはあのドラマで使ったトイレ、、これは昔は動いていたエレ ベータ。じいさんにもらった黒飴を舐めながら、廊下を歩くと、過ぎ去った時間の匂いがした。


その食糧ビルが、マンション建設のために壊されるという噂を聞いた。本当だろうか?


注:最近だと、C1000 タケダの CM はここで撮っていると思われる。