こういうのって、どうなんだろう?何かの意図があって、「琉球」と書いているのか。あるいは、これがごく普通の呼び方なのだろうか。
アジアの歴史(それは太平洋戦争よりもっと前からの話)は、とても複雑で、こんなふうにしれっと書かれている「琉球」という呼び方にも、もしかしたら、誰かの思いがあるのかもしれないと思った。(何もないのかもしれないが)
写真と紀行文
こういうのって、どうなんだろう?何かの意図があって、「琉球」と書いているのか。あるいは、これがごく普通の呼び方なのだろうか。
アジアの歴史(それは太平洋戦争よりもっと前からの話)は、とても複雑で、こんなふうにしれっと書かれている「琉球」という呼び方にも、もしかしたら、誰かの思いがあるのかもしれないと思った。(何もないのかもしれないが)
保険の代理店をやっているというじいさんは、知り合ったばかりの僕たちをビルの一室に案内してくれた。そこが彼の事務所だった。ストーブが燃え、暖かい。部屋はあまり広くはなかったが、中庭からの光が差して明るかった。
従業員一人の保険代理店。机の上の文房具はきちんと整えられ、壁のカレンダーには予定がメモされていた。
「こうやってさあ、働いてるのが一番いいのさ。」
2年前、20世紀最後の冬。「佐賀町エキジッビト・スペース」のクローズイベントを見に行った時、僕ははじめてこの食糧ビルを訪れた。食糧ビルは、 地下鉄半蔵門線水天宮駅から、少し歩いたところにある。そのモダンな建築は、かつて穀物取引のために建てられ、今は、いくつかのアートギャラリーと、いく つかの会社の事務所が入る雑居ビルになっている。そして、だいぶ昔に立てられたこのビルで、だいぶ昔からこのビルで働いてきたそのじいさんと、仲良くなっ た。
今から半世紀ほど前。当時はまだ穀物取引が盛んに行われていた食糧ビルに、一人の若者が就職した。その頃、正米市場があったこの界隈は、とても賑やかだった。一生懸命働いて、あっという間に何十年かが経った。やがて、米の流通は自由化され、若者も定年を迎えた。
いったん会社はやめたけれど、小さな保険の代理店をはじめた。その事務所は、やっぱり彼が長年勤めてきた食糧ビルの一室だった。じいさんの人生は、このビルと一緒に続いてきたのだ。
美しいアーチ状の梁に囲まれた中庭、高い天井、コミカルなベランダ。食糧ビルは、見れば見るほど、興味の尽きない建物だ。じいさんは、一般の人は立ち入る事ができない、ビルのあちこちを案内してくれた。これはあの映画の撮影で使った部屋、これはあのドラマで使ったトイレ、、これは昔は動いていたエレ ベータ。じいさんにもらった黒飴を舐めながら、廊下を歩くと、過ぎ去った時間の匂いがした。
その食糧ビルが、マンション建設のために壊されるという噂を聞いた。本当だろうか?
注:最近だと、C1000 タケダの CM はここで撮っていると思われる。
晩夏、完全なオフシーズンの京都。見かけるのは、果てしなく暇そうな老夫婦か、激安狙いの海外観光客、そして羊ページ管理者ばかり。
しかし、ここ清明神社だけは何かが違う。混み具合が違う、客筋が違う、雰囲気が違う。神社仏閣には普通ありえない、なにか別の空気が張り詰めている。
一言で言えば、「ブーム」なのだ。
清明神社は映画「陰陽師」の主人公、安倍晴明を祭る神社。映画「陰陽師」は、どうやらなかなかヒットしたらしく、境内をうろうろしている親子連れや、おばちゃん集団、年配カップルなど、大半が明らかに「その筋」の客だ。境内には、映画「陰陽師」のポスターが貼られ、社殿は新築され、なんだかすごいことになっている。おりしも、宮大工がさらなる社殿の増築のため、白木に鉋をかけている。
「そういうもんじゃないだろ、、」
といっても、そういうものなのだ。もちろん、グッズだって負けていない。鹿に「しかせんべい」、陰陽師には「五芒星ロゴ入り西陣織シルクネクタイ」、望もうと、望むまいと、そうなるのだ。
さすがに、本殿の周りは昔の落ち着いた雰囲気が残っていてホッとする。鮮やかな五芒星を描いた提灯、風雨に晒された柱木。紙と木のコントラスト。かつて、平安京を鬼から守った陰陽道の神社も、今は静か。
追伸:そうそう、陰陽師2も製作中だって。ポスターが貼ってあったよ。
注:「五芒星ロゴ入り西陣織シルクネクタイ」は神社のオフィシャルグッズではなく、近所の微妙な感じの土産物屋で売られていた。