九份ってどうなのよ?

Photo: “Crowded stair in Jiufen.”

Photo: “Crowded stair in Jiufen.” 2015. Keelung, Taiwan, Richo GR.

台湾通の友人に「九份ってどうなのよ?」と聞いてみる。

行ったことが無いなら行けば良いけど、一度行けば十分だよ、と返ってくる。まあ、なんとなく分からなくもないが、行かずに偉そうなことを言うこともできない。

九份への道のりは、実際結構面倒くさい。台北からだと台鐵の電車に乗って瑞芳駅まで行き、そこから地元の路線バスを乗り継ぐ事になる。台湾のバスは、スマホアプリとの連動も良いし、Google mapsで出てくるルートも正確なので、自力でなんとかなる感じ。


で、もの凄い人混みに、もう帰りは疲れてしまって、タクシーにした。台湾のタクシーはそんなに高くないので、最初からタクシーで良かったじゃん、という気分になった。そのまま台北市街で小籠包と金牌ビールで一息。

さて、九份ってどうだったの?一度行けば十分だよ、としか答えようが無い。

眠れない午前二時、でも焦らない

Photo: “A view from a corridor in Las Vegas.”

Photo: “A view from a corridor in Las Vegas.” 2015. Las Vegas, U.S., Apple iPhone 5S.

出張最終日、眠れない午前二時。でも焦らない。

横になっているだけで、だいぶ違うからだ。


横になっているだけでだいぶ違う、初めてその言葉を聞いたのは、友達と初めて海外旅行に出発する前の夜だった。社会人になったばかりで、初めての友達三人での海外旅行。前日から、友人の家に集まった。そしてその時は、旅行が楽しみで寝られなかった。

今は、帰れるのが楽しみで寝付けない

夏休みと人生はだいたい似ていると思った

Photo: "Beautiful parasols in Bondi beach."

Photo: “Beautiful parasols in Bondi beach.” 2016 Sidney, Australia, Richo GR.

ふと、人生は夏休みたいだな、と思った。そして、もっと早くその事に気がついていたら良かったのに、誰かがもっと早くにそう教えてくれたら良かったのに、とも思った。夏休みは、人生の初期の段階で体験する。だから、それがこれからの人生の相似形であることに早くから気がついていたら、もっと素直にいろんな事を理解できた気がする。


夏休みと人生は似ている。夏休みにはリミットがある。人生のリミットは誰にも分からないけれど、200年生きる人は居ないから、やはり最初から終わりが有る。そして、常にカウントダウンは刻まれ、それが進むにつれて、焦りが増えてくる。夏休み最後の一週間は、けっこう嫌な気分だ。もう楽しいことは先にあまりない。やり残した宿題だけが残っているかもしれない。人生も似ている。

夏休みと人生は似ている。いろんな過ごし方ができるし、毎日はなんとなくくり返されていく。その長いようで短い時間は、やったことだけが積み重なる。1日目に立っていた場所と、最後の日に立っている場所は、やっぱり違っている。沢山の事をする人も、何もしない人も居る。周りがやっているような事をなぞっていたら、なんとなく休みが終わる。そんな夏休みもあるだろう。人生も似ている。

夏休みと人生は似ている。楽しい夏休みもあれば、孤独な夏休みもある。周りの人、家庭の状況、いろんな初期条件や外部要因がそれを左右する。もちろん、自分がどう過ごすかでも、変わってくる。あるいは、意外と自分の手の及ばないところで、物事が流れていってしまう感覚。人生も似ている。

夏休みは何回かやってくる。それに比べて人生は1回で終わり。でも、その分長めの時間が用意されている。