BEKKOAME/INTERNET が腐り始めた

予想通り、年末を迎えて、BEKKOAME/INTERNET が腐り始めた。
さっきメールをチェックしたら、0通だった。いくらなんでも、0ってことはないだろうよ。またメール遅配かも。

今日は、DNS Server が不安定で、自分のホームページもろくに見られないという状態、、、。さすがに頭にくる。FTPも使えないので(自分が使っている FTPサーバーの IPアドレスなんて知らないし)、この文章がアップできるのはいつになるのだろうか。

いまから BEKKOAME/INTERNET に入るのは、きっと真剣にやめた方がいいかもしれない。

もう「中流」なんてものは存在しない

今年は、例年よりずっとはやく、東京に初めての雪が降った。
毎日、身を切るような寒さが、襲う。

僕が新宿駅から会社まで歩く間、道の両側にはホームレスが転がっている。

僕は彼らに同情は感じないが、寒さが厳しい今年の冬は、去年以上に命を落とすホームレスの数が増えるのではないかと思う。

自分のすぐ真横に、そうしたぎりぎりの世界があることが、ある種、不思議だ。


不況、とはいっても、個人個人の危機感にはバラ付きがある。
まさにホームレスになってしまう人もいれば、ほとんど影響を受けない人もいる。

街には、バブル時代の異常な浮かれかたこそないが、クリスマスも近くなり華やかなイルミネーションが施されている。そうした光景を目にして、
「どこが不況のどん底なんだ?」

と思うことはないだろうか。

世の中は不況だというけれど、日本全体が貧乏になっているような感じはしない。職を失い、路頭に迷う人もいる。しかし、そうでない人も確かにいる。

実は、この日本で、貧富の差が、広がりつつあるのではないだろうか。一億、総中流と言われた時代が、気がつかない間に終わっていたのではないだろうか。

僕は、もう「中流」なんてものは存在しない時代が始まりつつあると思っている。つまり、「平凡に生きていければいいや」と思っても、目指すべき「平凡」が無いような社会だ。上を目指してはい上がり続けるか、け落とされて地獄を見るか。そういう気の抜けない社会だ。

そうは思いませんか?

妙な感触のGUI

どうも最近、Linux が流行らしい

僕もしばらく使っていたことがあるが、「どうも好きになれない」ので削除してしまった。いくらフリーだ、最新のカーネルだ、RedHat だ、といっても、やっぱり呪文みたいな設定が多くて、めんどくさい。英語ばっかでかったるい。まあ、それが好きな人にはたまらないんだろうが。

で、Linux の中でも、なにがイヤかというと、あの妙な感触のGUIが耐えられない。あれは、まごうことなき、UnixのGUIだ。(まあ、ほとんどの Window Manager が X-Window を使用しているのだから当然だけど)

Mac から Windows に移るときも、洗練されていない GUI を呪わしく思ったものだけれど、Unix のそれは許容範囲を超えている。サーバーOSなら我慢するが、あんなものをデスクトップで使えなどと言われたらたまらない。

しかも、Linux 好きの人は、あの GUI を「酷いともなんとも思わずに使っている」から恐ろしい。


そうは言っても、Microsoft 嫌い(かつては僕もそうだったが)の人びとが集まることのできる旗は、いまやLinuxで決まりのように思える。雑誌は、Linux を世界を救う OS のように書き立て、NT の悪口を書くことに忙しい。(あんなに、Windows を賛美して、Mac をこき下ろしていた奴らが!)

せっかく Mac から多数派の Windows に移ったのに、ここもまた、安住の地ではないようだ。石は、結局はどこにいても飛んでくる。

しかし、逆に言えば、そうした永遠の鼬(いたち)ごっこが、この業界の成長を支えているのだろう。そう、どこかに安住したければ、結局は、この業界から身を引くしかないのだ。