羊をめぐる冒険

ファーストフードで、食べ残しのポテトと、包み紙と、紙コップ、ストロー、使い終わったナプキン、を捨てた。

ファーストフードで、食べ残しとゴミを、捨てる。

実に単純なことだ。


村上春樹の、「羊をめぐる冒険」の話をしていた。

小説の書き出しは、こんな風だ。

新聞で偶然彼女の死を知った友人が電話で僕にそれを教えてくれた。(注1)

余計な物は、いっさい捨てた文章。


僕は、捨てるのが極端に下手だ。

カラスには、光るものを見境無く巣にため込む習性があるそうだ。

僕は、いろんなものを抱え、捨てられない。

抱えているものが、自分から何かを奪い続けるとしても、だ。

羊をめぐる冒険(上) page 9 line 1 , 1985, 村上春樹, 講談社文庫.

オムライスを食べる

「昼飯に、オムライスを食べるっていうのは、いいことだよ」
と友人は言った。
その時、僕はジャックダニエルズの水割りを飲みながら、目の前の大振りなオムライスをつき崩していた。
「そうだな、言われてみれば、いいな」
と答えた。

真剣に考えたことはなかったが、昼飯にオムライスを食べる、というのは、確かにどう考えても好ましいことのように思える。


「オムライスを食いに行こう」
僕の誘いに、友人は別に反対しなかった。

一杯飲んだ後のオムライスが美味しいというのは、意外な発見だった。僕と友人は、二人でオムライスを食っていた。

この洋食屋は、僕が昼飯にオムライスを食べに、よく来る店だ。新宿のとある交差点の一角に建っている。深夜ということもあって、店内はガラガラだった。外の景色は、見慣れた昼間のオフィス街とは印象が違って、まるで別の街のようだった。

街から雑踏は消えていた。時折、車がやや速めのスピードで交差点を走り抜けていった。


「おまえの店にも、オムライスは絶対置けよ」
将来はバーを開きたい、学生の頃からそんなことを言っている友人に、僕は言った。
「ああ」
当然、といった風に、彼は答えた。

「バーで、オムライスを食うのは、カッコイイからな」
新宿の某所で出される、このオムライスは確かにうまい。

分厚い卵の衣が、とろっと半熟になって、ご飯全体を覆っている。オムライスには、何故か熱々の味噌汁がついていて、そいつをすすりながら、とろとろの卵衣とケチャップご飯を混ぜて食べるのである。


すっかり食べてしまって、酒も飲みほし、店を出ることにした。この店の会計は少し怪しい。レジがあるくせに、ちゃんと使っている気配が無い。計算は、いつもレジの傍らに置いた電卓でやっている。

会計を払って外に出た。交差点の反対側にある交番では、誰かが尋問されているようだった。新宿の夜の空気は、ちょうど良い涼しさで、気分が良かった。すり切れ気味のレコードから流れる、時代錯誤なワルツが、今出てきたばかりの店内からもれていた。
「この店気にいった」
友人が言った。

ボスニアで起こっていること

今回の「今日の一言」は、あまり面白くない。日常が、面白くないモノにあふれていて、これ以上はウンザリだと言う人は、是非読み飛ばしていただきたい。


今、ボスニアで起こっていることは、おおざっぱに言って、ある民族の土地を奪い、殺し、暴行し、追い出す、というようなことだ。

こういう事は、歴史上、特に珍しいことではない。最も有名な、ホロコースト以前にもあったし、それ以降も何度も繰り返されてきた。そして、こういう歴史の汚点は、毎回あまり顧みられることもなく、ずっと犠牲者を生んできた。


ホロコースト。

ユダヤ人弾圧の事実は、当時、かなり早い時期から周辺国に伝わっていた。しかし、それを知る人々は、そのことを追求しようとはしなかった。

例えば、国際赤十字。赤十字は、ユダヤ人強制収容所の事実を知りながら、それに目をつぶった。彼らは、収容所に査察団さえ派遣し、その実態に気づきながら、組織的に黙殺した。(その恥ずべき事実をようやく認めたのは、戦後になってからだ)


世界は、そうやって戦争よりも目先の平和を選び、結果としてユダヤ人は大量に死んだ。

ユダヤ人は、ユダヤ人であるがために、人類史上、最悪の手段を尽くして殺された。その事実は、歴史の記憶として、今も残っている。しかし、もちろん、その後も同じような悲劇は続いた。

例えば、ユダヤ人国家イスラエルが、ヨルダン川西岸地区で、自分たちが過去にやられたのと同じことを、パレスチナ人に行ったのは皮肉なことだ。パレスチナ人は、土地を奪われ、金網とバリケードの中に閉じこめられた。ある者は逮捕・投獄され、殺された。


ユーゴスラビアはここ数年にわたって、ずっと戦禍の中にあった。

オリンピックが開かれた首都、サラエボは、一転して死の街になった。日本ではぜんぜん報道されなかったが、あの地域の戦争と殺人は、ここ数年間にわ たって続いてきた(ユーゴスラビアの紛争が日本人の興味を惹かない最大の理由は、現地の地名や人名が覚えにくいことと無関係ではあるまい)。

その長い戦争が、つい数年前にようやく停戦をむかえ、国境線が引き直された。しかし、それで決着はしなかった。また、虐殺が始まったのである。

それを見過ごすことは、恐らく、可能だっただろう。しかし、今回、NATOが選んだのは戦争だ。


僕は、今回の NATO の空爆を支持する。支持する、ということは、誤爆で非戦闘員に被害者がでても、支持するということだ。爆撃で死者が出る事と、民族浄化で死者が出ることの意味は違う、僕はそう考える。

反対することは簡単だ。あるいは、いろいろ理由を付けて判断を保留することもできるだろう。僕の「支持」は、NATO の爆弾でバラバラに吹き飛ばされた人には、とうてい受け入れられるモノではない。僕は、殺人者の支持者である。しかし、それでも仕方がない。


最近思うのは、物事を傍観し、責任を持たず、批判するだけということは、いかに簡単か、ということだ。そういう態度をとって、なおかつ、それを誇らしげにしている人々を僕は軽蔑する。日本の知識人や、学者には、そんな奴が多い。

とりあえず戦争っぽいものには反対しておけば間違いない、そんな計算が見え隠れしている。