オコゼの頭

いちおう、忘年会というのが、ちらほらある。とはいっても、行きたい人だけが、行きたいところに行く、という極めてバラバラな感じの忘年会ではあるが。

この時期、よく頼むのがオコゼの唐揚。芳ばしくて美味いけど、あんまり食べるところがない。骨も太いし、なにより頭がでかい。見た目の割に、食べ応えの無いつまみだと思っていた。

が、オコゼの頭って丸ごと食べられるみたい。野生の勘は失っても、人間は動物。魚だって、丸ごと喰えないはずはない。ちゃんと二度揚げして出してくれる店なら、ポン酢につけて、頭からバリバリ食べられるというわけ。

このあいだ、「オコゼの頭は喰えますよ」と教えられて、存外に美味いことを知った。食わず嫌いだったか。

注1:オコゼ(虎魚)。口が開き気味、10センチ前後、ごっつい顔の魚が唐揚になって出てきたら、それはきっとオコゼだ。カサゴ科の魚で、海に棲んでいる。
注2:作者は、魚を昭和一桁世代のようにキレイに食べる習性があるので、中骨まで丸ごと食べたが、初心者は喉に骨を刺したりしないように、十分注意して欲しい。

悲しい夢

悲しい夢を見て、目が醒めた。

目を開けて、全てが夢であったことを理解してもなお、現実の体の中の自分に違和感を感じる。一時であっても、僕は別の自分、別の可能性を生きたのだ。

ひんやりした空気。まだ薄暗い、払暁の部屋。これが、いまの自分のいる場所。それを、また受け入れなおすまでのしばらくの時間、ぼんやりとデジタル時計の数字を見つめていた。奇妙な浮遊感を抱いたまま、、。

今日の人間観察

今日の人間観察。

ミーティング中、客のおっさんが、僕の渡した名刺の裏に似顔絵を描いていた。
こっそりやってるつもりでも、バレバレだって。

最寄駅、回送電車に駆け込み乗車している人がいた。
乗ったはいいが、寂しそうだった。

以上。