WordPress に完全に切り替えて、三ヶ月。
退路を断ったというのもあるし、これ以上、手動でコンテンツを維持し続けることがもう無理になったというのもある。
以前の羊ページは blog と手動更新の静的ページを分けていたのだけれど、その区分けを無くした。昔の記事が合わせて 1,200程あったのだけれど、それも一緒にしてWordPressに移行してしまった。自分なりに、blog と静的ページは書き分けていたつもりだったのだけれど、その垣根を取り払ってみると、かえっていろいろ面白い気がした。
同時に、地域で分けていた旅行記も、WordPress のタイムラインの上に並ぶようになった。カテゴリという形で、旅行記の体裁は残るけれど、年月日の流れの中で、旅行記を把握することもできるようになった。自分の 15年を、そのような角度から俯瞰するというのは、想像以上に面白い作業だ。
道具によって、人の文章は変わるのだろうか。実際にやってみて、変わる、それが今の感想だ。
先週、MIT メディアラボの石井さんの講演。最後の Q&A の中の、「表現されていない思考というのは、存在しないと同義だ」という言葉が印象に残っている。僕の個人的な意見は又違うのだが、そこまで厳しく捉えるか、ということに感心し、戦慄に近い印象も覚えた。Demo or die. と言われるメディアラボならでは、といえばそれまでだが、表現することというのは、とにかく出してみることだ、というシンプルなメッセージだと思う。
WordPress のような CMS は、HTML をカリカリ書くのに比べると、publish することに対する敷居が低い。僕はどちらかと言えば、完成度の低い文章は出したくないし、気後れしてお蔵入りにした文章も今まで数知れない。しかし、表現するのであれば、完成度とか、わかりやすさとか、そういうものにはやはり拘泥してはいけないのかもしれない。
岡本太郎とか、そういう人も著作では同じ事を言っている。まず、自分の表現をしてみろ。
WordPress の更新作業の手軽さと、デザイン変更の容易さは、「なんとなく更新できてしまう」という環境を提供する。編集画面のエディタさえ自分好みにカスタマイズ可能なのだ。それによって、更新頻度やコンテンツの重さ、のような物は明らかに変わった。いままで時期を見計らって寝かせていたようなトピック、あるいは、形になりきっていないような物でも、特に恐れることなく publish するようになったのだ。
変わった事は良かっただろうか?少なくとも、必要ではあった。それは確かだ。
なんとなく更新頻度が上がっているような気がしていたのですが、そのような変化があったのですね。
個人的にも、今回のupされた記事はタイムリーな話題でして、Twitterとwordpressのようなサービスの出現で、かなりweb上で発言することのハードルが下がってきてるなと感じていたところでした。
いずれ、情報の質を求める動きが始まって、淘汰されていくのかもしれませんが、しばらくはこの状態が続くでしょうし、自分も乗っていこうかなと考えているところです。
WordPressは自由度が高いので、自分がこうしたい、というサイトが作りやすいように思います。
HTML5になってくると、ますます手打ちは厳しくなりますから、何らかのCMSを使うのがより当たり前になるのではないでしょうか。
ニコラス・ネグロポンテの「bitは低きに流れる」という言葉を信じるなら(そしてそれは、年々真実味を帯びてきていますが)、量の増大・フラグメント化・S/N比の低下、というのは進むことはあっても、逆は無いでしょう。
それに対抗するのは、フィルタ性能の向上だと思います。ディレクトリ型がフィルタの用をなさなくなり、全文検索型に変わったり、リアルの人間関係でフィルタするSNSが人気になったり。
どうやって、自分なりのフィルタを構築するかが、大事な気がします。そうなると、運命の出会いとか、必然の繋がりとか、そういうアナクロと言えなくもないものが、デジタル世界でも大事になってくるかなと。