ある時、気に入って読んでいるサイトの作者にメールを出した。「あなたの書いている日記には、無駄な言葉が無い。それは、書いてから削り込んでいるのですか、それとも、いきなりそういうものが書けるのですか?」
答えは、「言葉は、降りてくるんです」そういうようなものだった。
伝えるための工夫や推敲は、所詮枝葉を整えるものでしかない。幹になる部分は、その人の言葉を借りれば、まず、降りてくるのだ。僕なりの解釈で言え ば、降ってくる、といった方がしっくりくるかもしれない。唐突に、一方的に、偶然みたいに、降ってくる。下手をすると、捕まえ損ねる。
降ってきた言葉をうまく捕まえて、文章としての形にする。どれだけ巧くそれができるか、というのは、センスと経験にかかっている。しかし、それがいくら巧くなったとしても、何の意味もない。「巧いね、とても」それだけ。
僕自身には、そういう降ってきたものを、巧く文章のカタチにする才能はあると思う。いや、それは才能と言うよりも、技術・職人芸に近い。時々、ふと不安になるのは、僕にはいい言葉が降っているのだろうか、ということ。文章を書いていると、そういうことが、妙に気になる。
注:冒頭部分のメールの送信者の方からは、事前に本稿の掲載許可をいただいています。