自分の卒業した大学のサイトを久しぶりに見てみた。
僕の卒業した大学は、「愛校心」や「団結意識」が非常に稀薄な(というか無い)学校だった。僕は、いわゆる「愛xx心」系のものが大キライなので、それはそれで居心地は悪くなかった。しかし、ある種の寂さも感じた。
どういうことかと言うと、学生なのに全然熱くないのだ。意見もなにもありゃしない。生徒はみんなバラバラで、「こんなんじゃだめだっ!」と叫ぼうに も(叫ばないが)、バラバラすぎて叫ぶ相手も見つからない、といった有様だ。(これは日本の大学が抱える共通の問題点かもしれない)
そんな学校の雰囲気を反映して、僕の在学当時、大学関連のサイトは気合いの感じられないものばかりだった。そして、今でも、その状況は変わっていなかった。
ああ、学校っていうのは、やっぱりこんなものか。改めて、そう思った。
僕の在学当時から、学校の問題点は明らかだ。頭が良くて、ちゃんと考えられる奴は、はやくに学校に見切りをつけ、学校のことにはあまり力を入れなかった。そのかわりに、勘違した人たちが、大学の中でくだらない議論をいじくり回していた。
そうなればなるほど、切れる人は学校を見きり、学校に来ているのは先生のご機嫌取りしかできない馬鹿ばっかり、という悪循環になっていた。(もちろん、ちゃんと学校に来ていた人の全てが、ダメだったと言う気は全く無い)
そんな状況は、僕を酷く失望させ、学問の道で食っていこうという(もともとそんな希望は持っていなかったが)気を完全にうち砕いた。さらに、大学で学んだことを、仕事につなげようという気持ちまでも、完全に失ってしまった。僕は、ジャーナリストになりたかったのだ。
僕は「国際政治」を専攻していた。当時は、真剣に(頭の30%分ぐらいを占めるほど真剣に)世界を良くしたいと思っていた。でも、何かが違った。
今でも忘れられない出来事がある。とある在日米軍基地に行ったときの事だ。
僕は国際政治を専攻しており、主に太平洋戦争や、その後の日米安全保障条約が専門分野だった。テーマとして、「平和第一、軍備反対」といったものが 中心に据えられていた。したがって、我々から見ると、米軍基地は「悪」の存在だった。(僕自身は、必ずしもそうは思っていなかったが)
その日、市民運動家(どうも信用できない響きだ、、)に案内されて、ゼミの担当助教授とともに、男女約10名で基地に向かった。目的は特になくて、あえて言えば「基地を見てみよう!」ぐらいのノリだったと思う。
さて、その「悪」の基地に近づいて、内部の様子を窺おうとしたその時、監視所から浅黒い日系の警備員が出てきた。
「ここは私有地だ。あんたたち、即刻出て行きなさい!」
彼の目には、普通の生活の中ではお目にかかれない、容赦のない冷たさが漂っていて、有無を言わせない厳しさがあった。
しかし、我々は公道に立っており、その意味では基地の敷地には進入していないはずだった。法律を犯していないならば、なんら恐れる必要はない。
ここは、学問の出番だ。武力や威嚇に負けずに、知恵で勝つのだ。もちろん、非暴力で。
僕たちは、当然、担当の助教授が反論することを期待した。
しかし、日頃、国際平和について語っていたその助教授は、検問の警備員(兵士ではない)の剣幕にびびり、自らの意見を主張することもできず、しどろもどろになって、逃げた。
これほど情けない瞬間はなかった。日頃、偉そうに世界平和を語っている人間が、たかが警備員(別に銃口をこちらに向けているわけではない)に一喝されただけで、すごすごと逃げ出したのだ。
このとき、「やっぱ学問しかやってない奴はだめだ」という意識が僕の頭に焼き付いた。
実世界を相手にできない学問に、僕は価値を感じない。
本来、知識というのは、非常に危険なものだ。知識は、時として人の人生を破壊したり、命を危険にさらすこともある。知識をつらぬくためには、自分の人生をかけなければならない瞬間だってある。
しかし、そんな理想を実現できる人は、本当に少ないことがよく分かった。そして、自分がそういうものに向いていないことも分かった。
さて、そうした目で、大学のゼミのサイトを見ると、その内容は惨憺たるものだ。内容なんて何も無く、完全に内輪受けのサイトばかり。学生達は不況まっただ中の就職を気遣い、とんがった意見をWebに載せようなんてことはしない。
本来、大学生のサイトの強みは、本当に自由に発言ができることにある。会社から首になる心配もないし、時間もある。自分の興味も勝手に選べるのだ。でも、だめだ。彼らは、理想よりも、飯だということに、はやくから気づいてしまっているのだ。
しかし、理想を持てないようなやつが、本当に仕事できるのか?