日本一醜い親への手紙

アダルト・チルドレン(AC)という単語には、いちおう定義があって、アルコール依存症の患者を抱えた家庭環境で育った人を指す。(最近は、これだ けに留まらず、機能不全の問題を抱える家庭に育った人、全般を指すようになった)ACの数は社会環境の複雑化に伴って、年々増加している。一例を挙げるな らば、現職のアメリカ大統領ビル・クリントンも、自らがACであることを公表している。

僕自身も、この定義に従うと、ACである。ACは、現代の社会では、あまり珍しいものではないが、誤解を受けることも少なくない。しかも、その苦し さを他人に理解してもらうのは、極めて難しい。そもそも、ACという概念自体、メジャーになったのはここ数年のことで、多くのAC達は、自分自身がACで あるという事実にさえ、未だ気づいていない。

ここに一冊の本がある。ずいぶん前に買った、「日本一醜い親への手紙」。ここに納められているのは、憎悪、あるいは冷たい怒りに満ちた、100通の 手紙だ。虐待や放置など、あらゆる手段で、心を切り裂かれた人たちの手紙である。手紙を書いた人びとは、年齢も、性別も、職業も様々だが、その大半はおそ らく(広義の)ACと言われる境遇にある。

ACとして生きる。それは、容易いことではない。そのあまりにも厳しい道を歩くAC達の、一瞬の叫びが、この本には書きつけられている。この本を 「くだらない」と片づけることができるならば、あなたはきっと幸せな人だ。僕はこの本を、一度として読み通した事がない。淡々とした、たった数行の表現の 中に、彼らの目に映った地獄が、ありありと見える。「生ぬるい」と言われる時代の、静かな闘いがここにはある。それは、時として、一人の味方さえ居ない、 孤独で、しかも希望の薄い闘いである。

ACには、余分に背負った荷物がある。それを下ろすには、彼ら自身の力によるしかない。しかし、それには時間がいるし、回り道も必要かも知れない。しかも中には、(かなりの割合で)負けてしまうヤツだっている。だからといって、ACに対する同情や、共感は、無駄だ。

ただ、理解を。ここに並んだ100通の手紙の作者達も、同じ事が言いたいに違いない。

「日本一醜い親への手紙」、メディアワークス、主婦の友社 1997。ISBN4-07-307247-1

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です