実名で自分の悪口

電車に乗って、座っていると、おっさんが二人、やかましく話しながら僕の隣に座った。おっさん達の口から飛び出した言葉に、僕はギョッとした。

おっさんA 「吉田(本当は僕の名字、ここでは仮に「吉田」としておく)って、だめだよな、ありゃ。おかしいよ、あいつ。」
おっさんB 「うん、うん、ひーどいよぉ、ありゃ、吉田は」

いきなり、実名で自分の悪口を言われて、むかつくよりも驚愕してしまった。なんじゃ、それは。

もちろん、そのおっさん達は、僕とは何の関係もない人たちで、おっさん達のやり玉にあがっていた吉田は、同姓の見知らぬ誰かだ。しかし、隣で「吉田は礼儀がない」とか「吉田は態度がでかくて、あいつをマネージメントしなきゃいけない奴は悲惨だ」とか話されると、なんとも居心地が悪い。

しかし、彼らの話を聞いているうちに(聞かずにはおれないほど、声がでかいのだ)人の悪口を言うっていうのは、こんなにも格好悪いものかのか、とも思った。誰かをけなせばけなすほど、自分の無能さや、品位の無さをさらけ出してしまうのだ。

特に、偉そうに、吉田をけなす僕のすぐ隣に座ったおっさんの吉田に対する不満は、かなり理不尽で主観的なものだった。要は、そのおっさんは、吉田と 性格的に合わない、それだけなのだ。そして、そのおっさんの最大の問題点は、吉田との性格の不一致が、吉田に対する自分の評価に大きく影響している事実に 気づいていない点にある。

おっさんの話を聞いているうちに、僕はだんだん隣のおっさんがキライになりはじめた。話の内容では、どうもその吉田は僕と結構似たところがあるようだった。そんな吉田と合わない僕の隣のおっさんは、面白いことにやっぱり僕とも合わないのだ。

うるさいし、しょっちゅう身振り手振りで体を動かすので、僕はまるで眠れない。そして、延々と悪口だの、不満だのを言い合っている。僕はこの人の下で働いている、吉田に少なからず同情を感じてしまった。

それにしても、おっさん達は、電車の中で会社の話をするときには、もう少し声のトーンと内容に気をつかうべきだ。(話を聞いていて、彼らの会社名がだいたい分かってしまった。ファーストフードで、ポテトの塩味が濃いめの、あの会社だと思う。)

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