こんな所から東京タワー

Photo: 春景4 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

Photo: "春景4" 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

九段下から千鳥ヶ淵に少し歩いた、公衆トイレの裏側辺り。なんか、人だかりがしている。おかしい、何度も来ているが、ここから何か良い景色が撮れるはずはないんだけど。

あえて、その人だかりに突っ込んでみた。近くのおばちゃんカメラマンの会話が聞こえる。つまり、ここからだと、桜と東京タワーが一緒に撮れるのだという。本当だ、九段のこんな場所から、東京タワーが見られるとは思わなかった。


見上げた観光客魂というか、見る人は見てるんだなぁと感心する。そうして、僕も周囲のご同輩に会わせてシャッターを切る。なんだか、一緒にバスツアーにでも来たような気がしたよ。で、このキモチワルイ絵はがきみたいな写真が出来上がってきた。

日本土産にどうでしょうか。

写メ

Photo: 春景3 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

Photo: "春景3" 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

満開の桜を、携帯電話で撮る人は驚くほど多い。

画質は良くないし、残らないかも知れない。でも、今ここで伝われば良い。フィルムカメラの対極にあるようなもの。

写真は誰かに伝えるためのものなのだとすれば、写メっていう使い方は、それはそれで凄くストレートで正しいんじゃないかと思う。


僕も、携帯で何枚か写真を撮った。でかいフィルムカメラを 2つも首から下げて、なおかつ携帯をかざして写真を撮っている姿はかなりマヌケだ。そうして、結構(携帯にしては)うまく撮れたものを何人かに送ってみ た。暫く経って、何気なくそれを待ち受けにしてくれている人を見つけて、それはそれで、わりと嬉しかったのだ。


注:背景の桜が「加工してる?」的な写りだが、これはまぎれもなく Zeiss 暈け。

白ゴス

Photo: 春景2 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

Photo: "春景2" 2008. Tokyo, Japan, Contax RX, Carl Zeiss Vario-Sonnar T* 35-135mm/F3.3-4.5(MM), Kodak EBX

土手の上で、花は一斉に咲いていた。草木が春を纏っていた。

この瞬間のために、誰かが装わせたかのようだった。


現像が上がってきた翌日、僕はそのうちの何枚かを印刷し、クリアファイルに入れて出かけた。ちょっと試してみたかったのだ。

その人に、三枚並べて見せて、全く何の迷いもなく選ばれたのは「This one!」この写真だった。日本的憂い、と僕が勝手に思っている写真(下の方に載せてある写真だ)はダメだった。一押しだったのだが。


なるほど、見た目は日本人として動いていても、英語が基本思考言語になっている人の感性は、どっちかと言えば、より explicit な表現を好むと言うことだろうか。谷崎潤一郎の陰翳礼賛も形なしといったところだろうか。人の感性が膨大な文化的文脈の中で形成され、受け継がれていくと して、桜の綺麗さというのはどこまで普遍的なものなのだろうか、、。

「なんていうか、私の着てる服とかもこんな感じのがあったでしょ」(と、英語で言っている)

ああ、あの白ゴスみたいなやつですか。なるほど、ごもっとも。