今、改めて結像するもの

Photo: "Japanese pampas grass."

Photo: “Japanese pampas grass at Shinjyuku-gyoen.” 2001. Tokyo, Japan, CONTAX RX, Carl Zeiss Planar T* 1.4/85(MM), Kodak EL-2

人間ドックの帰りに、道玄坂で久しぶりに写真展を見る。ソール・ライター展。何か知っていて選んだわけではなくて、たまたまやっていた。

ソール・ライターはNYで活動した写真家。今では想像がつかないが、当初カラープリントは退色してしまうため、カラー写真は芸術として認められなかったという。カラープリント自体もとても高価で、早くからカラーフィルムを使って撮影をしていたライターは、ポジのスライド上映の形で仲間内だけで楽しんだという。

写真展には、1990年代になって再発見された写真が、沢山展示されていた。現代の技術で、カラープリントされ、息を吹き返した半世紀以上前、1950年代の風景。

目にとまった、雪道の紅い傘の写真は、いかにも日本人が好みそうなモチーフで、やはり売店で絵はがきとして売られていた。いつものように、絵はがきだけを何枚か、自分への記念として買った。自分への土産は、絵はがきだけと決めている。


coursera.orgはオンライン講義のサイトだが、修了証をもらおうと思わなければ(そして、学生相互の課題評価システムを使わなければ)、無償の授業がいろいろ有る。

ミシガン州立大学が提供している写真講座、“Photography Techniques: Light, Content, and Sharing”は正規の芸術系の授業など受けたことがないだけに、面白かった。何人かのプロの写真家でもある講師が、だいぶ丁寧に写真とそのデジタルワークフローの基礎を教えてくれる。

講師の一人が、面白い事を言っていた。昔の自分のネガをスキャンしてSNSに上げてみたら、最近の作品よりも遙かに沢山の反応があったという。自分の昔の写真を、再度上げていってみようかと思う。それは、郷愁では無い。新たな発見、今の時間の話なのだ。

お節介な善意

報道の真実という話を、するつもりは、ない。

しかし、この時代、いかに情報が信用ならないのかということを、いくらでも疑うべきだとは言える。例えば、このページに載せられている情報。分かり易い例で言うと、「フォトギャラリー」の写真である。

この写真、実は全て修正されている。もちろん、この場合は、ないものを書き加えたとか、何かを消したとか、そういうことではない。バランス補正やコントラストの調整、フィルタ加工などによって「見やすく」(脚注)されているのである。

もちろん、私は悪意を持って写真のスキャンデータを加工しているのではない。しかし、世の中で行われる「修正」の大半も「悪意のない」ものだ。むしろ、そこにはお節介な善意が満ちているのだ。


脚注:厳密に言えば、印画紙の上に再現される写真を、ディスプレイの蛍光体の上に再現されるコンピュータ画像としてそのまま取り込むことは、そもそも不可能。画像をデータにする過程での劣化や、スキャナの「癖」などをトータルに考えて画像を加工するのは、仕方のないことだといえる。そもそも、1,000枚の 中から任意で数十枚を選び、配置し、キャプションをつける段階から「修正」は始まっている。
脚注2:今はフォトギャラリーのコーナーは各投稿ジャンルとして掲載されています。