プレゼンのトレーニングを受けている。

Photo: “Hawkers in Singapore.”

Photo: “Hawkers in Singapore.” 2016. Singapore, Apple iPhone 6S.

プレゼンのトレーニングを受けている。(オンラインだ)

ランダムに組んだ相手と、お互いにプレゼンして、お互いに批評する。「凄く頭のいい人がプレゼンに来たな、俺に内容が分かるだろうか、と感じた」と、多分皮肉を込めて、コメントされる。

今流行の?(ソーシャルな世界で求められる)寄り添うプレゼンテーションには、なってないみたいだ。

しかし、それは自分が今、沢山勉強したり、沢山取り入れたり、沢山考えたり、そういう事をしてるっていうのも有るかもしれない、と後から思う。テックの一見尊大に見える人達の中身も、実はこういう事じゃ無いだろうか。


久しぶりの羊節を聞けた、と社外のインストラクターは喜んでいた。その人とは昔、一緒に働いたことが有るのだ。多分、彼が知っている頃の僕というのはまだ20代後半とか30代前半とか、それぐらいのものだ。

取り戻しつつあるのかもしれない。よりましな問題意識を内に持って、あの時よりは賢く、あの時よりは優しく、そして、少しはましな選択ができるんじゃないか。そんな気もする。

不気味の谷と、アンドロイドのお姉さん

Photo: "Egg android."

Photo: “Egg android.” 2016 Sidney, Australia, Apple iPhone 6S.

動画配信だけを見て暮らして、1年が過ぎて、まったく不便が無い事は分かった。メディアはこうして、置き換えられていく。古いメディアは、消えないが、積層の下に埋もれていく。


YouTubeに、散歩するアンドロイドっていうチャンネルがあって(あえてリンクはしない)、アンドロイドのお姉さん、というのが出てくる。表情とか、動きとか、滑舌とか、そのあたりは(アンドロイドなので)ちょっとしたぎこち無さ。

何千年か後に、流石のgoogleのstorageからも記録が中途半端に失われて、考古学者が、人間を模倣し不気味の谷を越えた最初のアンドロイドとして、彼女を「発見」したら面白いなと思ったりする。


動物は不気味の谷を、感じないらしい。人間だけが、人間に中途半端に似た何かに、恐怖を感じる。人は、何に出会って、その恐怖を学習したのか?人間が遺伝子に刷り込まれた恐怖を感じる、「人間に似た何か」というのは、一体なんだったのか?確か、そんな話。Redditが元ネタだったか。

進化するアンドロイドが開ける、新しいディストピアな恐怖の種が、その辺にあるかもしれない。

アキラみたい

Photo: “Night view from the bay.”

Photo: “Night view from the bay.”” 2019. Tokyo, Japan, Apple iPhone XS max.

死にたくない

とは実はあんまり思わなかった。ただひたすら、これ以上、怖い思いをするのは嫌だなとは思った。しかし、ここで終わりならそんなものか、という気分にもなった。

記憶というのは、その時に全部定着するわけで無い。1年以上を経た今になって、奇妙な実在感を持って自分の中にしみ出してきたような気がする。それ以前の僕と、それ以降の僕は、やはり違っているのだと思う。


何かに冷めたような、そんな感じもある。この生が、全くもって永遠では無い事の実感が、突然に深まった。そして、いったい自分が何をしているのかという冷たい思いも抱く。

それは別に悪いことばかりでも無い。捨てるべきものは何か、考えるべき事は何か、日々なにをするべきなのか。そういう視点が、日常に戻ることが出来た喜びとはまた別に、というか、その後から、やってくるのだ。

自分が繋がらなければいけない人は、別にそんなに居ないのだな、という認識があらためて深くされた。それは、特段残念には思えなかったし、意外に自分が身軽なことに気がついたのは、皮肉なものだった。


だから、あまり悲惨な目に遭った、という気分はその時は無かった。

ただ、一旦退院してから、再び手術のために戻ったときの方がトラウマレベルだったかもしれない。中央手術室の中を、まさか自分で歩いて手術台に行くとは思わなかった。冷徹で頼りがいの有りそうな目をした、麻酔科医が自己紹介をした。

廊下にはテレビで見たことがある、手を洗うための巨大なシンクが見える。部屋は予想外に巨大だった。無数のファンが唸る肌寒い手術室の真ん中に立って辺りを見回す。むき出しの銀色の空調と、巨大な機器と、パイプ、配線。アキラみたいだな、と思った。